meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

『貨幣の思想史』お金とは何か。お金にはなぜ価値があるのだろうか。

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 だいたいいっつも忘れているのだけれど、わたしがNPOだとか、ソーシャルだとか、そういう世界に足を突っ込んだのは「お金」がきっかけだった。その当時はリーマンショックがあって、どうこう、なんやかんや、というのはよく職務経歴書に書く詭弁である。そんなことより、どう考えても会社は首の締め合いでもしてるのかとしか思えなかった。次々と上司や同期が辞めていく中で、倒れていく中で、経済に疑問を持たない方がおかしかった。
 経世済民。「済民」は人民の難儀を救済することで、「済」は救う、援助する意とあるが、果たして誰が救われているのだろうか。仕事帰りの夜道に、一人月を見上げて思ったものである。なんてロマンチストなんだろう。

 そんなわけでわたしは敢えなくドロップアウトした。そのついでに、お金について調べようと思いはじめて、金融だのなんだのをつまみ食いしてみた。そうして、ご縁がつながり、ソーシャルファイナンスとか、社会的金融というものに行き着くことになる。銀行に預けているお金が軍需産業に投資されているなんてことに、やっと気づく。
 その事実の良し悪しよりも、それを想像し得なかったことがよろしくないのであった。なぜ利子がつくのか。なぜ、どこで、どのようにして、お金は増えるのか。当たり前とも思える疑問を完全に見逃していた。そのことがショックだった。

●◯。。。...

 『貨幣の思想史』はそういった疑問を見逃さなかった人たちを追いかける。お金って何なのか。西洋社会でも、思想が先に立ったわけではなかった。まず経済があった。既に貨幣での交換が当たり前に行われていた。行われていたが、なぜ、貨幣が、単なる紙切れやコインが、交換に値するものとしてはびこっていたのかはわからなかった。
 そもそも富というものも定義ができていなかった。だからある人は国家の富を、国家が持つ貨幣の量として考える。そうして言うのだ。貨幣を用いない、物々交換を行っている者はよくない。それでは国は豊かにならない、と。
 また他の人は言う。社会を豊かにするのは、唯一農業のみだ、と。製造業は材料を加工するけども、その材料は他の誰かから仕入れたものだ。それらは全て人間界の中でまわっている。農業だけが、自然界と付き合い、その力でもって投入する労働よりも大きな成果を得る。だから、農業のみが社会を成長させるのだ、と。
 まさに悪戦苦闘である。苦闘の根本には、すべての物事に「秩序」が存在するハズだ、という西洋的な価値観がある。理想的な秩序にもとづいて、合理的に、世界は動くハズ。それなのに、経済ではひとつの偶然が巨万の富を生み、嵐で船が難破すれば会社が傾く。てんでバラバラだったのだ。
 さらには価値の問題が立ちはだかる。商品を使用して得られる「使用価値」がある。一方で、貨幣に使用価値はなく、何と交換できるかという「交換価値」がある。この2つが結びつかない。そもそも使用価値が多様過ぎるのだ。砂漠の遭難者が感じる水の使用価値は高いが、都市部の恵まれた環境に住む人にとってはそんなに高くはないだろう。人によって、状況によって、使用価値は変化する。まぁ、捉えどころのないものなのだ。
 それを貨幣で測らなければならない。貨幣が持つ交換価値は、商品の使用価値と、ほぼ同等でなければならない。感覚的には当然、そうなる。ところがどっこい、どうもそうではないらしい。遂に至ったのは、交換価値と使用価値の世界は別物である、という結論だった。経済学は使用価値の世界を切り捨てたのだ。

●◯。。。...

 ほんとかよ、という感想と共に、ほんとかもな、という感触が残る。商品があってお金がある、という順序じゃないとしたら。お金があって商品がある、だとしたら。

 商品の価値をつくりだしているものは、使用価値においても、交換価値あるいは価値の面においても、その価値実体をつくりだしているものは、それとともにある関係的世界である。使用価値は、それを使用する関係が、使用価値という価値実体をつくりだす。交換価値、あるいは価値でも同じである。ここでは価値は価格に等しく、価値量は労働時間量に等しいとみなすことによって成立する商品経済の構造が、価値実体を成立させる。すなわち商品経済の構造と価値(=交換価値)との関係が、実体としての価値を成立させているのである。
 その結果、その商品の価値実体が価格としての貨幣量を定めるのではなく、貨幣化された価値が逆にその商品の価値実体を生じさせるという傾倒が構造化される。貨幣が単なる交換財であったときは、商品の結果であったはずの貨幣が、近代的商品経済のもとでは出発点になっている。ここにおいて貨幣は「神」の地位を獲得する。
 この関係を理解しないかぎり、私には、資本制商品経済も、貨幣の時代もとらえることはできないように思える。そして、そのことを承認するためには、実体にもとづいて関係がつくられるのではなく、関係が実体をつくりだす過程のなかに私たちの世界はあるのだという認識方法の転換が必要なのである。

 わたしは、だからお金がおかしいのだ、と言いたくはない。物々交換だー、といって、使用価値の世界に戻るのも悪くはないと思う。だけども、それではあまりにも原理的で、主義が強い。何より、わたしだってお金が好きなのだ。既にお金に操られているのであって、進んでお金に操られているフシもあるのだ。
 だが、こういった矛盾や傾倒には気づいておかなければならない。内山節氏だから批判的に書いてるってのも含めて、なにやらそんな気配があるぞと、少しだけ注意をしておく必要はあると思うのだ。使用価値と交換価値が全くの別物だと知っていれば、使用価値ばかりを追い求めても富豪にはなれんぞということがスグわかる。

●◯。。。...

 エピローグに内山節氏が山村の家を買った話が出ていておもしろい。売り手も買い手も価格がつけられなくて、お金のやり取りが「どうでもいい」ものになったのだとか。そんな予感をわたしも少しだけ持っていた。
 消費者と生産者の垣根がどんどん低くなると、お金はわりとどうでもいいものになっていく。ワークショップで古民家を改装したとしたら、それは生産だろうか。消費だろうか。Facebookに動画を投稿したら、それは生産だろうか、消費だろうか。では、生産したからお金がもらえるだろうか。消費したからお金を払うだろうか。
 なんだか徐々に曖昧になっているように思う。特に教育系の業種ではそうだろう。体験を売り物にしているサービス業にも近い雰囲気がある。そこでは消費者は参加者であり、参加者は場に関わってなにかを作りあげている。作ることは生産とも捉えることができて、生産が参加者の満足となる。さて、お金はどう流れたらよいのだろうか。
 なんてことを、若気の至りでちょいと考えていたことがあった。何にせよ、こういった「どうでもよさ」も貨幣愛を乗り越えた先にあるんじゃないか、とも思う。もっとお金との関係を試行錯誤してみてもいいのだろう。

 

m(_ _)m

 

 

貨幣の思想史―お金について考えた人びと (新潮選書)

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「社会を変える」お金の使い方――投票としての寄付 投資としての寄付

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水郷祭に行って来たから、花火の写真をあげてみるぜ。2017

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 今年も花火を見に行ってきたので、撮った写真をあげておきます。相変わらず、花火の写真はどう撮ってよいかわからずで、へたっぴなのだけど、まぁ、それなりに見れるものになっていたりもすると、思いたい。今年はちょっとたくさんアップしてみるぜ。

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 去年から大きく変わったのは、装備品です。遂に三脚を持っていった。といっても、そんなに足を伸ばして高くはしていなくて、座った自分の胸あたりの位置で撮ってます。

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 だから間違って首振ったりするとこんな写真に。。。(;・∀・) 露光時間を長くできるのはいいんだけど、うーん、どの程度に設定したらいいかは試行錯誤でした。

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 わりとキレイに撮れたトンボ。

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 こういう寂しい系の絵も好きです。

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 こちらは大きな玉でした。フルサイズで24mmで撮ってたので、だいたいの花火は画面に入ってくれますね。ただし、トリミング必須です。

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 こういうマークなかったっけ?

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 打ち上げポイントが2つでした。カメラをどっちに向かせるか迷う。

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 かけあいもうまく撮れるといいんだけど、シャッタースピードを遅くするとどうしても明るさが強くなり過ぎたり、煙が入ったりしてしまうのです。うまい人はうまく撮るんだろうけど、そこまで凝る気もないのが、なんとも中途半端なわたしらしいというか、なんというか。

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 こういう感じでシャッターを遅くすると盛大に露出オーバーへと吹っ飛びます。なかなかキレイには撮れんもんです。iPhoneのカメラのがうまく撮ってくれそう。

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 右っ側がクラゲみたいで、なかなか楽しい。

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 これもまずまずおもしろい絵になりました。風が左から右に流れていたので、みんなちょっとなびいてます。

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 右のはなんだろう? もうほとんどファインダーを覗かずに撮ってまして、三脚につけたカメラにお任せ状態、といっても過言ではない状況。その分、肉眼では楽しめました。

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 こういうのが渋くていいっすね。カラフルなのもいいですが、こういうシンプルな色が一番いいなと思います。周りのお客さんもそんな話をしてました。

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 あっちこっちであがると、タイミングも難しいもんだなぁ、なんて感じつつ。まぁ、シャッタースピードをオートにしてしまってるので、ここだってところで押しても前の写真の露光中だったりするんですけどね。。。

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 これもでかい花火。なんか、FINAL FANTASY Ⅳのラスボスを思い出します。ゼロムスだ。

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 こちらはおなじみの湖面花火。非常にキレイで迫力もあって好きです。

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 連打されるのも気持ちがいい。音がいいんですよね。これまた。

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 ラストは盛大に打ち上げて終わりっ。今年も大変に楽しめました。ちょっとお客さんがひくまで待ってから帰宅して、家についたのが21時半過ぎでした。花火終わったのが21時なので、、、いつも通りのびっくりスピードですね。大都会では考えられないぐらいの利便性なのです。

 さて、わたしの写真の腕はあがっていくのだろうか。

 

 

m(_ _)m

 

 

 


 

Nikon デジタル一眼レフカメラ D610

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【告知?】NPOのための情報発信講座MADARA(マダラ)

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 ということで、告知(?)です。前の前の職場であるNPO法人起業支援ネットと、今も師範代名刺をわたす度に説明に窮するイシス編集学校との共催講座となっておりまして、その勢いでわたしも少しだけお手伝いに飛んでいくこととなりました。きっと会場の準備とか撮影とか後片付けはしているハズですので、名古屋にいる諸氏は声をかけてやってください。
 名古屋に行くのは、たぶん、1年ぶり、、、でもなかった。そういや年末帰省するときに寄ってました。(;・∀・)

●◯。。。...

 内容は全く知らないわたしですけども、きっとおもしろいことになるのではないかと思っております。柄にもなく、全力告知です(嘘です。全力なんか出したら干からびてしまいます)。まぁ、わたしがそんなにオススメすることなんて、そうありません。
 なぜかっていうと、きっと、きっと、たぶん、おそらく、「情報発信の講座」になんかならないからです。いや、情報発信の講座なんですけど、成功の方程式であるとか、ノウハウであるとか、スキルであるとか、そういったものがわかりやすく提供されることにはならないのではないかと、予想しております。繰り返しますが、わたしは内容を全く知りません。
 柱をどこに立てるか、ということではなくて、基礎工事なんです。地盤を調査したり、ちょっと小突いたり、踏み固めたりするところからなんです。じゃあそれをどうやってするか。そこがミソです。自己分析すりゃあいいってもんじゃねぇんです。ある種のコツでもって、揺らしながら、動かしながら、多様に展開していきます。たぶん。

 なんでそんな妙なことをするかというと、その辺が「NPOのための」なわけでして、お得でっせ、便利でっせ、儲かりまっせ、ばかりではないから、伝えなきゃいけないことがあるわけです。AIDMAとかAISASも大事だけど、それじゃあオルタナティブとしての芸がない。粋じゃないし、ロックでもない。
 社会や、思想や、世界や、コンセプトや、スタイルなどなどを背負いこんで、じわりとゆっくり浸透させていくのが、NPO的な人たちの、これからの「やり口」なのではないかと、個人的には思ってたりするのです。なので、基盤が大切なんです。理念こそが、空気感の源です。

●◯。。。...

 そういうやわらかい情報発信の必要性が、今、高まってきてるのかもしれません。芯があって、余地があるから、周りにコミュニティができていくんだろうなぁ、ってなことを考えつつ、MADARAが起こす風を読みにいきたいと思っています。


m(_ _)m

 

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フラジャイル 弱さからの出発 (ちくま学芸文庫)

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ニュースの言葉から。

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 相模原障害者施設殺傷事件から1年が経ったというニュースが、ラジオから聞こえてきた。テレビがないわが家の朝は、NHKラジオではじまるのだ。何気ない夏の朝。ああ、もうそんなに経ったかと思い出していたら、こんな言葉が飛び出してきた。「被告は今も自分のゆがんだ考えに固執しており・・・」。目が点になった。聞いていた二人が二人とも、朝ごはんを食べる手を止めた。おいおい。なんだそりゃ。
 天下のNHKが、「ゆがんだ考え」なんてものがあると思っているのだろうか。しかも報道で使う言葉である。その選択に、疑問はなかったのだろうか。戸惑いなく言い切ることができたのだろうか。違った意味で、びっくりするニュースになってしまった。

 だいたい「考え」ってのは人それぞれ、千差万別のものである。世の中には、とにかく金稼げりゃいい、って考えてる人もいるし、子供と遊ぶのが何よりの幸せだー、って考えてる人もいる。それらは正しいとか間違っているとかで話すもんではない。道徳的に、倫理的に、善か悪かということならば、わかる。わかるけども、やっぱり一方的に悪だと言い切ってしまうのは、ちょっと気持ちがざわつく。
 被告にとっては自分の考えが正しいはずだ。その考えを「ゆがんだ」という言葉で、ギュッと封じ込めてしまうのはいかがなものか。見もせずに、着信拒否し、ブロックしてしまうような激しさを感じてしまった。彼はまさに、排除されようとしているのだ。

 せめて「偏った考え」とか「自分の考えに固執し」とかの表現にならなかったものか。

●◯。。。...

 ところで、この前、かの有名な外山恒一氏がこんなことを書いていた。「パリ警官襲撃、ISに忠誠か」という朝日新聞の記事を読んでのことである。

とくに何の変哲もない文章だとたいていの人は思うだろう。しかし私は「ん?」と引っかかった。内容にではない。「過激思想に染まった」という表現である。「昔の新聞って、こんな表現をしてたかなあ?」と。してたかもしれないが、してなかったような気がする。

現代マスコミ人批判 ・・・波瀾万丈の物語の作者や読者になるより登場人物になったほうがいいに決まっている | 外山恒一のWEB版人民の敵

 

 覚えている方は覚えている、あの大変に過激な政見放送を成し遂げた方である。ネタとして見ていた人も多いし、まぁ、ネタだったんだろうけども、心ある諸氏はその慧眼っぷりにちょこっと惹かれたりしたものだった。正直、この方は結構賢いのだ。
 そんな過激な知識人も、なんか最近のニュースの言葉にひっかかったらしい。確かに「過激思想に染まった」なんて、ドキツイ表現である。洗脳でも受けたんだろうか。洗礼は受けているかもしれないけど。

●◯。。。...

 アメリカ・ファーストな人の影響なのか、何なのか知らないけども、最近わりと激しいのだ。文春が突撃して暴露するのはかまわないけども、NHKニュースなら真相を明らかにして欲しい。その辺のバランス感覚が、なにやらおかしくなっている。
 それと同時に、全くブログが書けなくなっていた期間にぼやっと考えていたことは、この時代に言葉がどれほどの役割を果たせるだろうか、というようなことだった。「話せばわかる」と犬養毅が言った言わなかったかはわからないが、北の方からは「まず一発殴って、地球上から消滅させたるけんのぉ」というような脅威がオラオラと暖機運転し続けている。筋肉一発に、言葉は通じない。
 要するに、緊急事態に対して、まずは一杯お茶を飲めとは言えなかったのだ。ヤン・ウエンリーなら飲んだだろうが、彼も最後は暴力に勝てなかった。

 今回、やっとこさ書こうと思えたのは、そんなこと言ってられないくらいの状況になりつつありそうだからかもしれない。言葉がインフレしてきている。気がする。

 

m(_ _)m

 

 

街場の文体論 (文春文庫)

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『苦海浄土』と。

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 読み終えた。実は1ヶ月程前には読み終えていた。だけども、なかなかに身体が重く、書く気になれなかった。水俣病という内容にずどーんとやられて、タジタジしてたわけではない。いや、やられたにはやられたのだが、とにもかくにも、最近は筆が重いのである。
 書きたいことが書けない。自分の力不足が見たくないのだ。

 避病院から先はもう娑婆じゃなか。今日もまだ死んどらんのじゃろか。そげんおもいよった。上で、寝台の上にさつきがおります。ギリギリ舞うとですばい。寝台の上で。手と足で天ばつかんで。背中で舞いますと。これが自分が産んだ娘じゃろかと思うようになりました。犬け猫の死にぎわのごたった。

 統一されない文体、語り口。聞き書きのような文章に医師の記録がスッと挟み込まれる。水俣病を取り囲む断片たちに、困惑した。濃密な文章を、合間合間の時間に読んでいったからかもしれないけれど、時系列もわからなくなった。長きにわたる事件の、いつの時代に飛んだのか、飛んでいないのか。
 どうやらそんなことはどうでもいいらしい。順序がどうとか、アレが起きてからコレが起きたとか。そういう事実を客観的に見るような目線を、メインには据えていないように思えてきた。これは、この混濁したような認識が、書き手の見ているもの、そのものなのかもしれない。勿論、わたしの頭が足らないから、そう思えてしまったのかもしれないが。

 漁師の生活はぐっと美しく、病は凄惨だった。

 水俣病患者家庭互助会代表、渡辺栄蔵さんは、非常に緊張し、面やつれした表情で、国会議員団の前に進み出ると、まず、その半白の五分刈り頭にねじり巻いていたいかにも漁師風の鉢巻を、恭しくとり外した。すると、彼の後ろに立ち並んでいる他の患者家庭互助会の人びとも彼にみならい、デモ用の鉢巻をとり払い、それから、手に手に押し立てていたさまざまの、あののぼり旗を、地面においた。
 このことは、瞬時的に、水俣市立病院前広場を埋めつくしていた不知火海区漁協の大集団にも感応され、あちこちで鉢巻がとられ、トマの旗が、ぱたぱたと音を立てておろされたのである。
 理想的な静寂の中で、渡辺さんの次に進み出た小柄な中年の主婦、中岡さつきさんがとぎれ勝ちに読みあげた言葉は、きわめて印象的であった。大要次のごとくである。
「……国会議員の、お父さま、お母さま(議員団の中に紅一点の堤ツルヨ議員が交じっていた)方、わたくしどもは、かねがね、あなたさま方を、国のお父さま、お母さまとも思っております。ふだんなら、おめにかかることもできないわたくしたちですのに、ここにこうして陳情を申しあげることができるのは光栄であります。
 ……子供を、水俣病でなくし、……夫は魚をとることもできず、獲っても買ってくださる方もおらず、泥棒をするわけにもゆかず、身の不運とあきらめ、がまんしてきましたが、私たちの生活は、もうこれ以上こらえられないところにきました。わたくしどもは、もう誰も信頼することはできません……。
 でも、国会議員の皆様方が来てくださいましたからは、もう万人力でございます。皆様方のお慈悲で、どうか、わたくしたちを、お助けくださいませ……」
 彼女の言葉に幾度もうなずきながら、外した鉢巻を目に当てている老漁夫たちがみられた。人びとの衣服や履物や、なによりもその面ざしや全身が、ひしひしとその心を伝えていた。
 日頃、”陳情”なるものに馴れているはずの国会派遣調査団も、さすがに深く首をたれ、粛然たる面持ちで、
 「平穏な行動に敬意を表し、かならず期待にそうよう努力する」
 とのべたのである。
 陳情団代表の人びとも、これをとりまく大漁民団も、高々とのぼりをさしあげて、国会調査団にむかって感謝し、陳情の実現を祈る万歳を、力をこめてとなえたのであった。
 なるべく克明に、私はこの日のことを思い出さねばならない。

 えらい長く引用してしまった。わたしは何も知らなかったのであり、想像力に欠け過ぎていたのだった。
 得体の知れない病気が起こりはじめた時代のこと、その場所のこと、そのころの文化、どういう人たちが、どんな風に受け取ったのか。1950年の後半の、地方の漁村に、突如として現れた未知の病気は、当初、原因が不明だったのだ。治療なんて、できるわけもなかった。
 ほとんど、ホラーなのだ。症状は甚だ重く、多様で、身体がうまく動かせなくなってきたと思ったら、視野狭窄、不随意運動、雄叫びをあげて、踊り狂って死ぬ。戦後から、高度経済成長に入ろうというときの、地方の、漁村でのことだ。そして、そこに「会社」が深く関わってくる。それが、町の経済を支える「会社」だったのだ。

 世の中というのは、とても複雑で、罪深い。
 水俣湾の安全宣言がなされたのは、1997年である。

 

m(_ _)m

 

 

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

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