meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

頭がいい人って、どんな人かと言われたら。

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 頭がいい人の特徴あげてけ、的なスレが立っていたらしく、スマートニュースのまとめサイト経由でちら見した。なんというか、遠回りな見方をしているようであって、実際、最初のスレッドの情報が、まとめサイトに収集されて、スマートニュースに取り上げられて、それぞれの通過地点で少しずつマージンを取られているのだろうと思うと、少々切なくもある。ネットもいつの間にか「産直」じゃなくなってきてるのだ。

●◯。。。...

 ともあれ、頭がいい人ってのが話題にあがっていたのだった。そこには「物事をいろんな立ち位置から見られる人」なんて意見があったりして、なるほどなー、などと流し読んでいた。つまりは、暇つぶしである。
 暇つぶしついでに、自分ならどう答えるかと問いかけてみる。すると、頭の奥の方から「意見を変えられる人じゃないか」という声が聞こえてきた。どうやら今は、そういう必要性を感じているらしい。自分の意見に固執する人たち、自らの正しさを強く押し出さなければならない人たちが徐々に陥っていく性質に、少し辟易しているのかもしれない。

●◯。。。...

 頭がいい人の定義は、時代によっても、年代によっても変わってくる。それを踏まえた上で言うならば、やっぱり今は「意見を変えられる人」が凄いと思う。それは何もコロコロとあちこち転がる人ではなくて、自分の誤りをきちんと認識できる人だ。1+1が2だと信じきっている中で、実際に3になる例を見せられたら、その信仰を疑うことができる人だ。その事実を見ないようにするのではなく。
 相手の論理を聞いて、理があると思えば「なるほど」と言える。それは当たり前のことかもしれないけれど、この歳になると、なのか、その大切さが身にしみてくるようになった。
 いつの間にか、自分は自分文化に囲まれていて、その中で最適化された生活を営んでいる。この年齢で言うのもなんだが、頭は徐々にかたくなっていくようにつくられている気がする。わたしもだいぶかたくなってしまっている。意識して、トレーニングしていかねばなるまい。身体は健康ブームの真っ只中だというのに、思考の健康性はあまり論じられていないようにも、思う。

 

m(_ _)m

 

 

 

DEDEkit デデキット 考え方のワークショップ 01 【 一刀切り問題 】 佐藤雅彦+木村稔

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『ハーメルンの死の舞踏』お金が巡り、ねずみがはびこる。

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 晴れた休日で、時間があるならば、カフェに行きたくなる。特に冬は日照時間が短いから、日差しはとても貴重なのだ。家でぐっと休みたいなという気分でも、家でえいやっと作業を仕上げたい日でも、ちょいと外に出よう、ちょいとカフェにでも立ち寄って、ゆったりしてみよう、とか考え出してしまう。

 そして、どうせ行くならばいいカフェに行きたくなるのが自然の摂理というものなのだ。宍道湖があって、珈琲館はそのほとりにある。休日は人気過ぎて入れないようなこの店も、たまにくる平日休みならば悠々と座ることができる。何か、本を持っていこう。そうだ、2ヶ月も前に買っていたのに、まだ読んでいなかったエンデの戯曲を持っていこう。

●◯。。。...

 ミヒャエル・エンデといえば『モモ』や『果てしない物語』のことを思い出す。『果てしない物語』の方は、ネバーエンディング・ストーリーという映画にもなった。ドイツの作家で、ファンタジーや児童文学といったジャンルで活躍した人だ。でもって、『モモ』は東海地方にあるNPOバンク、コミュニティ・ユース・バンクmomoの団体名の由来である。2009年頃、お金のことについて疑問がたくさん浮かんだぼくが、ボランティアをしていた団体だったりもして、エンデにはそこで出会った。
 エンデはファンタジーでお金なのだ。世の中を流れるお金について、素直に、シンプルに、良心を持って、深く考えた人なのだ。「エンデの遺言」と検索すると、今でも出てくるyoutubeの動画があるから、気になる人は見てみるといいと思う。地域通貨が流行るきっかけをつくった番組だが、それを抜きにしても、金融に対する素朴な指摘にドキッとすることもあるだろう。

●◯。。。...

 お金の全てが醜いわけでもないし、富を否定してばかりでは世の中ままならない。それでもやはり、醜い側面はあるのだろうし、距離を置かなければ欲に飲み込まれてしまうような、そんな気配を漂わせている。ハーメルンの笛吹き男を下敷きに、ここまで書くかというぐらいの、醜さ、汚さ、おぞましさ。お金に対する激しい描写が、いっそ快かった。マザー2をやったことがある人なら、きっと、マニマニの悪魔を思い出すだろう。
 なんかゲトゲトしてる黄金色の偶像から、生み出されていく金貨たち。そんなお金のイメージは、たしかにぼくが子供の頃に持っていたもので、今もかすかにまとわりついている。それは、もしかしたら、お金が根本的に持っている性質なのかもしれない。
 それを知りつつ、黒い影を感じ取っていながら、それでももう、まわし続けるしかないのだという、大人の言葉が哀しかった。これは警鐘なのだ。穏やかな午後のカフェにも、お金は流れている。

 

m(_ _)m

 

 

ハーメルンの死の舞踏

ハーメルンの死の舞踏

 

 

排他主義なんて、大嫌い!という言葉を見かけて。

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 「排他主義なんて、大嫌い!」というようなコメントを見かけた。もう随分前のことで、確かトランプ大統領が就任して、少ししたぐらいのことだったと思う。メキシコとの国境に壁をつくるだとか、一部の国の人たちを入国禁止にするだとか、そんな話がわいてきた頃だ。世の中、ギスギスしてきたもんだなぁ、と眺めていた。
 そのコメントをした方が何をどう考えて、感じているかはわからないけども、SNSにそう書き込むときに、躊躇なり、逡巡なり、ちょっとした戸惑いなり、何かしらのひっかかりがなかっとだろうかと、考えてしまう。言動に含まれている矛盾には気づいているだろうか。その振る舞いに自覚はあるだろうか。
 その言葉が排他主義者を排他してしまう可能性に、目は向けられているだろうか。直情的に書いてしまったとして、そのあとの冷静は取り戻していて欲しい。勝手ながら、そう思う。

●◯。。。...

 自身も政治の当事者でありながら、それを棚に上げてしまって言えば、あっちもこっちもまるで同じに見えることがある。何かを主張する人たちがいて、それに反する人たちがいて、どっちもやんややんやと言い合っている。もちろん、体制側の方が権力を持っている分だけ有利にゲームを進められて、それも含めて反体制側の人たちが悲痛な叫びをあげる。それはそれで必要なことである。誰も声を上げないってのは、よろしくない。
 ただ、ぐいっと引いて見てしまいがちなぼくには、「どっちもどっち」と言いたくなることがあるのだ。主張と主張がぶつかり合う。その叫び方には、どこか似た雰囲気がある。どちらにも、危険の匂いがつきまとう。
 プラカードを上げ、叫び、アジテーションする。非難が非難をよぶSNSコミュニティがあり、そんなスタイルとは一定の距離を置きたいと願う自分がいる。ぼくは、そのスタンスこそが、雰囲気をつくり、ムードを高め、ある種の方向性へと人を導いていくのではないかと、疑っているのだ。主張の内容などお構いなしに、その姿勢、方法、態度自身がメッセージを伝えていく。ゆっくりと、着実に。

●◯。。。...

 メディアはメッセージだし、人は見た目が9割とも言われている。どんな正義を突きつけたところで、突きつけたならそれはナイフと変わらない。船頭をする人であれば、そのことには気をつかっておいて欲しい。
 そして、ある一定数の、お茶を飲んでふいーっとしている人たちが必要なのだ。ばかなクマちんを、ばかだなぁ、と眺めて愛しむ心があれば、大丈夫。くまのプーさんや、差し込む夕日を、信じていたいものだと思う。

 

m(_ _)m

 

 

ウィニー・ザ・プー (新潮文庫)

ウィニー・ザ・プー (新潮文庫)

 

 

トムヤンクンのスープ【カフェモルフォ】

https://www.instagram.com/p/BQKtbLWgs7p/

 

 久しぶりにトムヤンクン的なものを食べた。スープは「食べるスープ」と銘打っているだけあって、具沢山で満足感が高い。外にはたくさん雪が積もっているけど、カフェの中は明るく、あったかかった。田和山の今井書店に行くついでに、近くにあるからと入っただけだったけど、まずまずいいお店に入れた気がした。
 食べるスープにパンをつければ1000円弱ぐらいだった気がする。松江近辺だと、ちょっと高い感じの価格帯で、入るときには一瞬躊躇した。でも、寒いし、まだ積もった雪も溶け切ってないし、他を探すのも面倒なので、えいやっと飛び込んだのだった。

 

 

 トムヤンクンのスープをすする。マイルドって書いてあったけど、まぁまぁ辛くて、おいしい。具がごろんごろんとしてるのもいい。隣のテーブルでは、初デートかと思われる若い男女が向かい合っている。男性はベージュのコートで女性は真紅のセーター。男性がバイトの経験らしきことを語り、女性がすごいですね!とか、へー、とか、うらやましいー、とか、そんな相槌を入れていた。残念ながら、会話はそのパターン一色に染められていて、ぎこちなさが拭えない。ちょいちょい途切れる。多分、彼の粘りは実を結ばないのだろうなと思う。さらに奥のテーブルでは、禿げたおっさんとジャージ姿のおっさんがスマホでのゲーム開発について話していた。アンドロイドが!ゲームが!と断片的に聞こえてくる。異色のコンビだった。
 食べ終わったので、誕生日相性事典的な分厚い本の続きを読んだ。こういう本のある店はいい店だと、なんとなく決めつけている。ゆっくり過ごしたあとは今井書店へ。TOEICの対策本を買ってみた。さて、ちゃんと使うのかどうかはわからない。

 

m(_ _)m

 

 

 

TOEICテスト書きこみノート 全パート攻略編

TOEICテスト書きこみノート 全パート攻略編

 

 

ポークカレー【KARLY】

https://www.instagram.com/p/BO95qK1gLTb/

 

 なんだか最近、だいたいが寝る、食う、温泉行く、になっているような気がしてきたので、これは記録をとった方がいいんじゃないかと思い始めた。思い始めたのは、1ヶ月以上前だから、これはつまり怠惰である。まだ1つも記録らしい記録を書いていない。
 というわけで、今回はそんな試みの試みであり、わりと普通のブログっぽいブログである。前から気になっていたカレー屋さんに行ってきた。

●◯。。。...

 松江にはカラコロ工房というイベント広場があって、なにかやるときは大抵「じゃ、カラコロで」となる雰囲気がある。となると、自然、お昼ご飯はその周辺で食べることになるわけで、「そんじゃあ、ご飯でも行きますかー」と南殿町の路地に出ると、カレーのおいしそうな匂いがふんわり漂ってくる。「お、そういえばカレー屋さんがあったんだよなぁ」と毎回ちら見する。だけれどこれが、毎回の行列なのだ。2・3人が外で待っていて、美味しさを訴えかけてくるんだが、如何せん、そういうときには時間がない。また今度となって、いつかまたとなって、今になった。
 だから、今回は夜だった。「夜なら開いてるやろ」という思いつきが功を奏した。故に念願のKARLYだったかもしれない。

karlykarly.com

 店内は町家をリノベーションしたような雰囲気で、奥に向かって細長い。突き当りに2人がけのテーブル席が3つあって、その真中に通された。左側には30代半ばから後半に思える男女、右側には20代前半かそれより若い男女が座っている。なんだかそわそわしなくもない。

 とりあえずポークカレーを注文する。辛さが選べるってことだったので、わけも分からず2辛にしてみた。せっかくカレー屋さんに来たのだから、ちょっとは辛いカレーに挑戦したくなるものなのだ。辛いのには、そんなに強くないけど。
 そうこうしているうちに、右隣の若い男女にカレーが運ばれてきた。大きなお皿に、小さめのお椀をひっくり返したようなご飯の丘がポコリと出ている。こりゃあ、ちょっと量が少ないか、と心配になったのだが、それよりも、運ばれてきたカレーを無視してスマホのゲームを続ける若い男性がやたらに気になってしまった。女性の方はそれを注意するでもなく、何やら話しながら食べている。1分、3分、5分。まだ食べない。あったかい内に食べればいいのに、とお節介な感情が出てきたものの、そんなことを言う気は全くないし、相手にも聞く耳はないだろう。というか、あの男女はどういう関係なのか。兄妹のようで似ていなくて、カップルのようで仲良く見えない。未だにわからないのである。

 ポークカレーが運ばれてきた。たぶん、めっちゃ煮込んだんだろうなぁ、ってお肉がとろけて非常においしい。そして、辛い。2辛でもすんごい辛くて、汗っかきにはつらい。何度も額にティッシュをあてながらおいし辛いカレーを楽しむ。気にかかっていたご飯の量も全然問題なかった。ペターっとお皿に押しつけられた感じで、それなりの量が盛られている。右の男性もやっとこさ食べはじめたようだ。左の男女は既に食べ終わっていそうな雰囲気。女性の職場の若い子がスマスマの最終回の翌日に休んだとか、そういう話をしている。目が腫れて出られないくらい泣いたとかで、そんなわけないだろーと思ったらほんとにめっちゃ腫れてて笑った的な話が聞こえてきた。
 かっらいカレーと戦い、気がつけば満腹である。いやぁ、満足。会計を終えて店を出ると、汗をかいた身体に冬の冷たい空気がしみわたった。次も夜、そんでもって、もう一回ポークカレーだな、と思った。

 

m(_ _)m

 

 

 

ぎおんご ぎたいご じしょ  新装版

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