meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

『おせっかい教育論』まぁ、ぼく、おっせかいなおばちゃん苦手やけどね。

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 久しぶりに内田樹さんの本を読みたいと思って手に取り、スグにその内田ワールドな論理展開にスッとした気分が少し。読み進めていくにつれて明らかになってきたのは、自分が内田樹的な世界から離れてきたのだということだった。

●◯。。。...

 内田樹さんの言葉は、シンプルかつ明快で、心強くパワフルである。世間で一般的と思われていることをバサッと切り倒す痛快さは、一時ぼくの頭を魅了した。そこには反撃できないような鮮やかさと、未知への尊敬の念がある。自分のテリトリーにあってはこうだといい切り、未知の領域にはむやみに踏み込まないし、切り裂かない。特にNPO時代、障がい福祉サービス時代には何度も読み、真似をした覚えがある。
 その慣れ親しんだ内田樹さんの言葉に、ひっかかりが出てくるとは思わなかった。つまりは自分の立ち位置が変わったということで、つまりは体制側にいるということなのだろう。ちょいと哀しい事実である。

●◯。。。...

 教育をビジネスにしてはならない。経済原理で考えてはならない。今のところ教育で何とか生計を成り立たせている自分には、こういう主張が痛く刺さった。そして、目の前で起きていることとと比較対照した後に、いやいやいやいやさすがにもうちょいビジネスにしてよ、という反論が喉の奥からあがってきた。
 何も、教育をそっくりそのままビジネスにしようとしているわけではない。何も、教員をがんじがらめに縛り付けて平準化させようとしているわけでもない。教育現場とか大学とかに変なおっさんがいることも大事だという意見にも、大賛成だ。だが、そこで起きている悲劇を放っておくわけにもいかんのじゃないか、とは思うのだ。
 諸々の現実を書くことは控えるが、まぁ、驚き呆れる事態はある。それに慣れきっているようなふるまいにもまた驚く。非常に難しいバランスなのも重々承知しているつもりではある。けども、限度も限界も、いつかは見えてくる。

●◯。。。...

 現場の現場もあれば、制度の現場もあるから、ことは厄介である。その点を、大阪市の平松市長が少しだけ埋めてくれる。「立場上言わなければならないことがある」をよく知ってしまった、というのも、ぼくの成長なのだろうか。

 にしても、なにはなくとも、ぼくはおせっかいな関西風おばちゃんが、苦手なのだ。

 

m(_ _)m

 

 

おせっかい教育論

おせっかい教育論

 

 

3月11日のことを、まだ飽きずに書いてみる。

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 6年が経った。今年は仕事のない土曜日だった。
 東京に行きたい予定もあったのだけれど、次の日が朝から仕事ということで、残念ながら諦めた。気持ちよく晴れた、その暖かい日差しに誘われて車に乗り込み、裏庭に敷く砂利だとか、苗だとかを買いに出かけた。外の空気はまだ肌寒いけども、車の中は日で暖められて、少し暑いぐらいだった。
 気分よくいくつかの店をまわり、気がつけばお昼を過ぎていた。コンビニの駐車場に入って14時46分を迎える。NHKラジオを聞きながら黙祷した。いつものFMに戻したら、福山オジサンが桜坂を歌っていた。歌うしかないのだなぁ、と思い、歌うしかないってのもいいなぁ、とも思った。色んなあれやこれやを全部ひっくるめて、そこに結晶させられるような人は、素晴らしくて、ズルい。

●◯。。。...

 東日本大震災の発生から6年である。相も変わらず、普通に生きている。「これでいいのだ」と「これではいけないのではないか」の両方を抱えていて、これが正常だと思っている。6年前と比べると、わたしの生活はだいぶと変わった。少なくとも砂利を担いだことはなかった。(;・∀・)

 何かと防災面が強調されるのが震災報道とか震災特集の宿命なのではあるけども、そこにとどめておくのは絶対にもったいくて、毎年毎年「あれはライフスタイルへの問いだったでしょう」というようなことを書いている。
 東日本大震災が起こったときに感じた「何かしなきゃ」には、どこかに自分の今までに対する「うしろめたさ」があるようだった。異常なまでの正しさへの同調圧力。寄付しなきゃ、ボランティアしなきゃ、支援しなきゃ、助けなきゃ。一体となって力が集中していくその偏りに、わたしは不健康さを感じてしまった。その気持ちの裏側には、同じことをしなきゃという日本人的な焦りとともに、「これはわたしたちがやってしまったことだ」という罪の意識もあったのではないだろうか。
 だから、多くの人が、このままではいけない、と思ったのではなかろうか。

●◯。。。...

 元に戻してはいけないとさえ、思ってしまう。ボディブローをくらったのだ。その衝撃は、奥底に響いていないといけない。あのときの「これではいけないのではないか」を懐に入れておかなくてはならない。特に、被災していないわたしたちは。

 

m(_ _)m

 

<1年目の記事>

meta-kimura.hatenablog.com

 

<2年目の記事>

meta-kimura.hatenablog.com

 

<3年目の記事>

meta-kimura.hatenablog.com

 

<4年目の記事> 

meta-kimura.hatenablog.com

 

<5年目の記事>

meta-kimura.hatenablog.com

 

<震災当時の記事いくつか>

meta-kimura.hatenablog.com

 

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下り坂では後ろ向きに――静かなスポーツのすすめ

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