meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

input → output じゃない何か。

 イベントの企画するとき、
 なんかどうしても、

 input → output って構造を考えてるなぁ、ってことが多い。


 さすがに職場でやるイベントでは、そういうことは考えてない気がするが、
 SCANとか、愛ゼミとか、ではそういうのが多い気がする。

 まぁ、悪いわけじゃないんだけど、

 簡単に言えば、そろそろそういう典型例に飽きてしまったのだ。


 てか、inputして、outputするとか、
 理論教えてもらって、練習問題する学校教育のようでもあって、

 もうちょっと先に行きたいなぁ、と。

 

 なので、半年近く前から

 「 inward → outward 」 って名付けた構造を考えるようにしてる。

 どういうことかというと、

 とりあえずそのイベントのテーマ「A」についての
 知識を投げられるのが、 「 input → output 」

 

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 対して、「 inward → outward 」 ってのは、
 まず自分の経験を振り返る機会を作る。

 (画像で言うと、「A’」をまず引き出す)

 あるテーマに関して、自分はどうだったかを問いかけて、引き出しをあけておく。
 そうすれば、同じ「聞く」でも、共感したり、
 比較したりが起こりやすいのではないかと。

 

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 「 inward → outward 」 は勝手に考えた名前なので、
 画像では、「 input → output でない何か 」 ってなってます(笑)


 他人に傾聴する前に、まず自分に傾聴しておく。
 それだけで結構気付きが変わってくるんじゃないかなぁ。

 全然、仮説で、検証するつもりもあんまりないんですがw

 

 いや、しっかし、
 自分自身、こんなこと考えるようになるとはなぁ(笑)

 市民活動なんぞ、やってるつもりも、やる気も全くないのです。