meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

ソーシャルリターン


 ソーシャルファイナンスについての話を何日か前にしていた。

 ので、今回はちょっと深めて、ソーシャルリターンっ考え方に
 ついて書いてみたい。

 が、

 その前に所感。
 「リターンとか言ってるけど、投げたものが返ってくる前提」
 っていうのが既に違和感である。





 ね。

 だから、正直な話、銀行に預けとけば勝手に利子が増えること自体
 なんだか違和感なのである。



 その上で、

 ソーシャルリターンとは何かというと、
 一般にソーシャルファイナンス(社会的金融)だとか、
 社会的事業とか、そういうへの投資に対するリターン
 のことだと考えている。

 かなり大雑把に言った気がするが、大きくずれてることはないと思う。

 俗っぽい例だけど、

  投資  :  赤い羽根募金に寄付
   → リターン  :  「いいことしたな、俺」っていう満足

 みたいな。

 もうちょっとソーシャルリターンっぽい例では、

  投資  :  風力発電の風車を作る事業を応援
   → リターン  :  地球温暖化を防いで、守られる自然

 みたいな。


 この、ソーシャルリターンが、とにかく見にくい。 見えない。
 モノで返ってくるわけでもないし、リターンの受け取り手が
 次世代だったりもするわけで。。。

 見えないから、勿論、普通の人は社会的な事業には投資しない。
 企業もCSRだなんだと言ってはいるが、数字にならない、見えない
 部分には手をだせないでいる。

 そんなわけで、この「ソーシャルリターンの見える化」は、
 社会的事業資金・応援を集める大きな課題になっているのである。


 が、


 この見える化にも危惧があって、
 いわゆる現在の資本主義的尺度であらわせるようになってしまったら、
 他の商品と比べられてしまったり、あるいは商品化されて本来の価値を
 損なうような扱いをされるのではないかという話である。

 この危惧には、なるほどなぁ、と思ってしまうわけだが、
 理想的な形を考えるならば、社会的と言われているものも
 しっかりとその価値を主張してもいいんではないかと思うわけだ。

 というか、パラダイムシフトなんだろうな。
 ソーシャルリターンを見える化すると言うより、
 ソーシャルリターンが見えるようになる。
 商品の見せ方じゃなくて、
 見る人を変えていくアプローチの方が正しい感じがするな。



 とまぁ、そんなことをつらつらと書いて、最初に戻る。

 ラブレター出して、愛が返ってこなくても、
 その経験で得たモノはすんごく価値のあるものじゃないの?


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