meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

バルネラビリティ


 って、この言葉について書くような知識も経験もないんだけどさw


 バルネラビリティは、簡単に言うと「 弱い 」ということらしい。
 最近読んだ『 ボランティア ~もう1つの情報社会~ 』の中で
 初めて遭遇した言葉なんで、ぶっちゃけわかってない。

 ただ、なんか今日はひどくこの言葉を感じたのでタイトルにしてみたのだ。


 あくまで僕の理解で書いていることをご承知おきください。



 ボランティアをする、とか、1歩踏み出す、ってことは、
 自分をバルネラブルな立場に追い込むことだ。

 例えば、ごみ拾いであれば、

 「 そんな小さいことをしていても環境はよくならない! 」とか
 「 報酬もなしにいいことをやるなんて偽善だ! 」とか

 出る杭は打たれるし、踏み出した分だけ批判に晒される危険が伴う。

 踏み出した人は、実は弱くて、脆い。


 間違った解釈になるかもだけど、「 リスクをとる 」ってことなのかな
 と今のところ考えている。
 リスクがあるから、返ってくるもの(リターン)もある。

 おそるおそる踏み出した1歩だから、できれば、それはyes,andで
 ポジティブに返したい。 そうは思っているのだ。




 (バンジージャンプで「 飛んだ!!! 」と思ったら、なんか楽しくて
  テンション上がってた、みたいな感じなのかも)


 なんか、一歩踏み出すって、怖いけどおもしろいものであって欲しい。

 そう思っている。


 なのに、なのに、今日、その一歩を否定するという判断をしてしまった。
 「 仕方がない 」と言ってしまえばそれまでだが、明らかに彼が
 バルネラブルになって出してきたものを、つき返した。

 受け入れる度量の深さがなかったのだ。
 支援の段階が違ったのだ。
 委託として降りてきた思想と、このコミュニティの思想が合わなかったのだ。

 「 自分の力不足で悔しい 」と思うほど真面目ではない。
 ただ、その縁がなくなるのが、淋しいとも感じる。


 具体的な話が書けなくて、ちんぷんかんぷんの方には申し訳ないm(_ _)m

 それにしても、僕はあの人のバルネラビリティに応えられたのだろうか?
 何か1つでも、得たものがあればいいのだが。