できるだけ高校~大学初期に梅棹忠夫を読んで欲しい。
今年の夏は梅棹忠夫ばかり読んでたような気がする。
梅棹さんは今年の7月に亡くなったらしい。
なんとも惜しい人をなくしたもんだ。
そんでもって、私が梅棹忠夫の本を初めて手にしたのも7月だったもんだから、
なんだかちょっといい出会いなのかな、とか思って調子に乗って読んでしまった。
私ほど遅読の者が、この夏に梅棹忠夫の本を3冊も読んだのだから、
これは記録的といわざるを得ない。こんなに1人の著者にフォーカスして
読んでみるのが楽しかったのもはじめてだった。
梅棹さんの本は難読ではない。
本人もわかりやすい文章を書くことを信条にしていたようだ。
高校生でも十分に読めるレベルなんで、是非、読んで欲しい。
特にこれから研究をしようという段階の人が読むべきものだと思う。
何が良いかって、
発想の生み出し方、アナロジーのきかせ方、既存の考え方からの外れ方が、
とっても軽快に描かれているように思うのだ。
『 文明の生態史観 』では、文明発達の様子が遷移と対象されて考えられていて、
『 情報の文明学 』では、産業の発展が生物の進化と用いて説明されている。
この文系と理系の思考方法を比べて、類似や相違を見出す方法は、
極めてシンプルでわかりやすく、かつ、そこから生まれてくるものは斬新である。
ああ、新しい考え方というのは、こうやって産まれてくるもんなんだな、
と改めて感心させられる。
そして、この方法を知っていると、研究をしていくものに
とって大きなヒントになる。
ほんとに振り返ってみてみれば、高校時代に出会っておきたかったなぁ、
と、痛烈に思う。
で、欲張りを言うならば、上記の2冊に『 知的生産の技術 』を加えたい。
文明の生態史観と情報の文明学が梅棹さんの研究事例であれば、
知的生産の技術は研究のための方法である。どうやって、事例を作ってきたのかが、
前半部分に詰め込まれている。
(後半の日本語の話とかは現代と状況がかなり違うので、飛ばしていいと思う)
これも高校生に読んでもらいたい。
ほんとに、なぜこういう文章が教科書に載っていないのかが不思議だ。
やはり、高校までは、「 研究 」を意識した教育になっていないのが
原因なのかもしれんな。
ちなみに、余談であるし、考えがまとまればまた別の記事に書くつもりだが、
『 情報の文明学 』におさめられている、『 情報産業論 』の中に、
お布施理論ってのが出てくる。これはソーシャルファイナンスの近くにある
考え方だ。これもとっても単純で簡単な話だが、ぞくっとするほどの衝撃を受けた。
金子郁容は『 ボランティア もう1つの情報化社会 』でボランティアの報酬を
「 情報 」と表現した。おそらく、情報とその価格決定構造は、、、
もうちょっと深めれば何か見つかりそうなのにな。
そうそう。
これらの考え方が1960年代にあったことってのも、1つ衝撃的なことではある。
いや、ほんと、未来を見酔うとしている人ってすげぇな、と思う。