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meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

「 ホーム 」がないというのは、つらいなぁ。





 SCANで、このプレゼンをしたときは意外に思われた方も少なく
 なかったに違いない。だが、この表現は全く間違っていない。

 それほど、実家にいたときはきつかった。



 ルームシェアの話が進みつつある中、今日ちょっとおかんと一戦あった。
 主には、友人をいきなり侮辱されたと感じたことが原因だが、
 その根底には、今の職を含めて「 信用されていない 」感がある。

 この溝はある一定の距離感をとって対処しないといけない種類のもので、
 埋めようとは全く思わないが、それにしても「 ホーム 」がないのは
 つらいことだなぁ、と、職場の飲み会の2次会中考える羽目になった。

 そんなわけで、今日は「 ホーム 」について考えてみる。
 愚痴っぽくなりそうでちょっと怖く、内心、自ら血を流しているようでもある。



 いつかのマイプロでも話したが、僕は三重での18年間を肯定的に捉え
 られないでいる。これが、三重への態度を複雑にし、事業をしたくない、
 三重からできる限り離れたいと思う理由でもある。

 名古屋や京都の友達に言うと、大概驚かれるのだが、精神的に繊細な(?)
 私にとっては、それほどの家庭崩壊だったのだ。

 特に暴力はなかった。
 そんでも、自分の視野を狭めるために前髪を伸ばし、坊主のときはタオルを
 カブってご飯を食べていたあの頃は異常としか思えなかろう。そこはもはや
 自分の居場所ではなく、ゆえに、地域を愛する感覚を僕は持っていない。


 このルーツに関して、大いに悩んだこともあり、ある人からは、
 「 完全になかったものとして、処理してしまえば? 」とアドバイスを
 してもらったこともある。ちなみにその人の旦那さんも同じような境遇
 であったらしく、もう思い出すこともしないという。

 そこまで強く切ってしまうこともできないのが、私の弱さでもある。
 名古屋というのも厄介で、海外にでも移住してしまえばよかったとも思うし、
 将来的にもっと距離を置くだろう。
 

 それでも、おそらく切れないこの縁は、どこかでどうにか処理せねば
 ならぬものでもある。ああ、めんどくさい性格に産まれたものだ。


 ともかくも、そんな事情で私は「 ホーム 」を持ってない。
 残念ながら、そこは自分の居場所ではない。私はそこで生きない。

 これはなんだかとてもつらい事実なようである。
 場所から既に切り離されていた自分は、場所と結びつく術を知らないのでは
 ないか、とさえ感じてしまう。この先も転々とするような気もしていて、
 その意味で転勤族がうらやましかったりする。

 また、特定の価値観にも落ち着かないのだろう。
 場所は世界の見方と結びつく。場所を持たない私には視点がない。
 その分、思想的自由があると思うが、信念は持ちにくいんだろう。



 実は自分のルーツを振り返るたびに、目を伏せたくなる。
 マイナス思考であり、孤独であり、求められていないような気になる。
 もちろん、笑っていた時間も多くあったろう。それを発掘する前に
 ドカンっと大きな壁にぶち当たって、それ以上進む気をなくしているだけだ。

 こんなんだから、自己分析が苦手なのだ。

 


 ちゃんと「 ホーム 」がある人は、正直、うらやましい。
 戻れる場所、生きられた世界、承認される関係。
 それがあるだけで、きちんとこの変化の中を生きていける気がする。


 自分にそんな「 ホーム 」が作れるだろうか? という不安もある。
 まっだまだ先だけど、よい家庭を作りたいもんだ。

 ほんでもって、ちゃんとコミュニティを作っていきたい。
 そういう意味でも、今度のルームシェアはまた1つ、よい場所を創る
 ためのチャレンジでもある。

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 『住まい』という現象は、たとえ我々が何年も前にそこを立ち去ったとしても、
 そこに支配され、そこから生活の仕方がさし示され方向づけられるような、抗し
 難いほど大きくて他に代え難いものである。
                          (V.Vycinas)
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 過去を肯定しようとも、否定しようともせず、ちゃんと受け止められるまでは、
 とりあえずは今の場所を、( とても名古屋を好きになれないものの )
 大切に生活していくことをしていこう、とは思う。



 うん。予想通り暗い記事になってしまった。
 でも、これが原点なんだよなぁ。。。 



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