どこまで見せていいものか。 【 露出リテラシー 】
初めてインターネットに触れたときって、いつだったろうか?
ブログを書き始めたのは、果たしていつだったか?
なんとなくブログランキングとかが流行っていて、
はあちゅうが『 女みがき 』的なブログを書いてた頃が、
多分、ブログの書きはじめだ。
あの頃は、まだインターネットに実名を晒すなんてトンでもナイ!
って時代だった。一部の有名ブロガーが、顔を晒し、名前を晒して
成功していくのを横目に、一般ユーザーは専ら匿名であった。
調べてみたら、この匿名文化があったのは90年代後半から00年代
前半にかけてのようだ。実はインターネット黎明期にはみんな実名
を公開していたらしい。( 参考ブログ記事 )
こんな時代のもあったのか!と驚きである。インターネットに見事
に乗り遅れた私の感覚では想像もできないことだ。
【 露出といっても、本当の裸ではない。「見せる」意図をどこかで感じる 】
「 実名載せないのが当たり前 」と思うまでに、1度はインター
ネット全体が露出しない方向に傾いた。そこを破りはじめたのは
mixiをはじめとするSNSだろう。特にmixiは
紹介性 → 無尽蔵な大規模化
というプロセスを辿ることによって、見事に露出嫌いをWebの世界に
引きずり出したといえるのではないか?そのクローズド感でみんなを
安心させておいて、「 私的だと思ってるけど実は公開されているに
近い場 」にもっていった。
そこに加えて、twitterである。SNSだけど、実は完全に公開されて
いる。みんながこぞって実名登録をしているのはなぜなのか?
これはちょっと不思議だ。いったい何が起こったのかはわからない。
回帰なのか? 集団心理なのか?
ただ、twitterという手軽なツールが爆発的に広がったことと、
みんながインターネットをツールとして使えるようになってきたこと。
この2つの要因が重なったのではないかなぁ、と思っている。
いまや、みんなが一定程度の「 露出リテラシー 」なる意識を持って、
積極的に見せたい自分をプロデュースしているのである。
( 露出リテラシーについては、玉置さんの記事を参照のこと )
「 晒す 」というバルネラブルな行為でリスクを取る。
そのことでWebをリアルな活動にできると気付いたのかもしれない。
バルネラブルという観点から言えば、弱さも見せる、日常も見せる、
ってことが重要だと思っている。「 自分は○○ができます! 」
というのは非常に脚色された言葉だ。そういう言葉が高度経済成長期の
広告を吐くほど浴びた我々に通じなくなってきているのかもしれない。
そうじゃなくて、
自分のコンテキストを見せる。
文脈を見せる。
生きてきた道を見せる。
考え方を見せる。
価値観が多様化し、この先見ているものへの共感が重視される社会に
おいては、本当の自分をきちんとわかってもらう必要があるのだ。
だから、ブログでは言いたいことを言わなければならん。
そして、企業に所属せず、個人として生きていくことを余儀なくされる
時代において、「 露出 」は自らのポートフォリオになるのだろう。
@tamachanggのブログはその典型例。
それにしても、犯罪リスクは減ったのかなぁ。。。
犯罪への自己防衛意識は消極的な露出リテラシーである。
積極性と消極性のバランスがどういう要因で動いているのか?
ここを明快に説明してくれてるなぁ、と思うものはまだない。
ほんと誰か論文とか書いてないかしらん?