meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

粘土のアフォーダンス 【 SFCnagoya 】


 粘土ってのは、すごいね。 ツールってのは、大切だなぁ、と本気で思った。

 出した問いは、
 「 受け継いできたもの 」 → 「 自分の天職 」 → 「 マイプロ 」

 この流れを言い換えてみると、資源 → 理想 → 現在 ってことになるかな。
 おのずと自ら歩んできて与えられたものを、自分も、他人も、意識しながらの
 ワークショップになってくる。

 粘土は、自分の「 天職 」をイメージするところで登場。元ネタのArt Of Hosting
 では、2人ひと組になって、1人が粘土をつくる・もう1人が天職について聞き出す
 って役割分担らしい。 まぁ、今回は4人だったから、みんなで作りながら、
 おしゃべりしながらだった。


 【 トーマスのビジョンは明確だったもんで、時間が余り気味に。。。 】


 粘土ってのは、こねてるだけで楽しいもんで、それだけでまぁ、だいぶ
 盛り上がる。色を混ぜたり、形を変えたり。この試行錯誤感が楽しいw

 但し、不器用な人と、器用な人でかなりの差がついてしまうのも確か。 
 画伯っぷりを炸裂させたトーマスと、母が陶芸をやっていたともゑの
 作品を並べてみる。 ( これを並べる私も鬼畜であるなw )


【 ともゑの作品。 中心から「愛」がじわっと広がるバラ 】

 ともゑは、ライターとして独立準備中。発信して、広がっていく
 イメージが、こんな形であらわされるとは!?


【 トーマスの作品。ちょっとしたワンダーランドに見えるw 】

 トーマスは、どんな人でも背景色が変われば、鮮やかに活躍できる
 という考え方。今は障害者雇用の領域で働いているけど、障害者に
 こだわってるわけでもない。

 赤は赤の中では赤いだけ。
 周りを白で囲んだら、鮮やかになるじゃん。その白になる。

 粘土はワンダーランドだけど、目指すものはシンプルで明確なんだよなぁ。


 ほい。あとは、きむと私の作品。


【 きむはひたすら細かいものを作っていた。粘土に突き動かされるようにw 】

 野菜とか、シャチとかを作っていたきむ。こういう、ものづくりが好きなん
 だろうなぁ、と。 でも、職人になるわけじゃなくて、ものづくりのよい所
 を抽出して、ひとづくりに使っていけたらなぁ、ってことを言っていた。



【 最後は、恥ずかしながら、私の作品 】

 なにかに言っても、今のところの結論では、やっぱり「 研究 」とか、
 「 知 」に惹かれるんだよなぁ。

 なんとなく、そういう知的コミュニティと、場をあらわしてみたw
 木と泉があって、私のゆるゆるとした性格だ。 ゆるゆるしながらも、
 それを取り囲む流れは、未来的であったり、未知的であったりしていて
 もらいたいもんだ。


 以上、4作品。並べてみるとわかるように、、、もんんんんんんのすごく
 全員の作品が、全員のらしさを引き継いでいる。作り手と作品をシャッフル
 しても、誰がどれを作ったのか、容易にわかるw

 わかりやすいよなぁ。



 これ、2人組みで相手のことを聞きつつ、相手の粘土を作ってみても
 おもしろんだろう。 使ってみる、作ってみる、そこまでやってからしか
 出てこない発想というのもあるのだ。

 これも、ひとつ、粘土がもたらしたアフォーダンスなのだ。