ネットワークは腐敗して、土壌になる。
今日は、とうとう何もしないまま夜を迎えてしまった。
さすがに最近、こういう日は珍しいw
momo cafe のまとめもしたいんだけど、言語化するのに
おおよそ2時間はかかるだろうから、まだ寝かしておく。
今日も閑話休題。 人と人のつながりについて、こういう
見方もあるのか、って思ったこと。
まずは引用。『 メディア・ビオトープ 』水越伸 から。
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メルプロジェクトはまずは五年で幕を閉じるため、そのきずなは五年
が過ぎると静かに腐敗していくことになる。しかしそれはよい腐敗、
豊かな腐敗である。朽ちたメルプロジェクトを栄養豊かな苗床として、
たくさんのピカピカした新しい球根が数多く生まれ、それぞれ多様な
網の目を生み出していくことになるだろう。もちろんそれらはたがい
に連携しあって、マスメディアやデジタル技術の内部にまで浸透し、
日本のメディア環境をかえるひとつのきっかけとなっていくと、僕は
考えている。
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ああ、腐敗してもいいのか。 なるほどな。 と。
一旦集結して、つながって、それを無理に保つ必要もないのか。
つながって、ワイワイやって、離れて、それがその場所の
土壌になっていく。 時期が来れば、また再会して、飲んだり
話したりしているうちに、芽が出ていくこともある。
芽を出さなくても、なんとなく過去を共有したつながりは
なんとなくそこにあったり、なくなったり、復活したり。
ネットワークなんて、そんなもんでもいいのかもしれない。
そして、案外、いろんな場所で、いろんな人がつながって
耕した土壌が、大きな変化につながっているのかもしれないなぁ。
【 いろんな輪が広がって、重なって、なくなって、次のが生まれるって感じかな 】
ネットワークは、「 かもしれない 」の連続なのだ。
近づいて、離れて、また近づくこともあって。 実際に急激な
動きを見せたSFCnagoyaも、Room-1984も、出会ってから
一旦、離れて、また会ったときにタイミングが重なったのだった。
よい腐敗となるためには、実を結んで、刈り取ることまで設計し
切ることも大切だろうけどさ。 とりあえず会ってみる、とりあ
えずつながり続けてみるというのも、ひとつの手なのだ。
最後に、BACCANO!のラストシーン、副社長の言葉。
「 キャロル、幻想から開放されるのだ。物語にはじまりがあり、
終わりがあるという幻想を捨てるのだ。物語には、はじまり
などない。終わりもない。あるのはただ、人と人がつながり、
作用し合い、影響し、拡散していく生のありようだけなのだ。
物語に終わりなどあってはならないのだよ、キャロル。 」
人は、
つながり、影響し、拡散していくのだ。