meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

誰のために。


 社会起業家のあるパラドックスという話を以前書いた気がしていたが、
 ちょっと見つからないので、書いておく。


 悪いことをして儲けようとしている人と、社会にいいことをしようとして
 いる人を比べると、人に伝えるのがうまいのは前者であることが多いという。

 なぜなら、悪いことをしようとしているほど、顧客をよく研究する。悪いん
 だから、そのまま伝えちゃうと、人は動かない。よく観察して、どうしたら
 自分の思うように動くか、調べ尽くそうとする。

 対して、社会にいいことしようとしている人は、「 自分は良いこと 」前提
 である。良いことをしてるんだから、伝わるハズだ、という大いなる間違いを
 犯しがちなのだ。

【 いくら叫んでも、求める人にしか届かない




 なるほどなぁ、と思う。そしてこの話のちょっと奥には、ニーズを見逃しがち
 という傾向が潜んでいる。

 「 誰のために やるか 」

 これがない限り、この問題と真摯に向き合わない限り、社会的事業は成り
 立たないんだろう。セルフィッシュであることは、いい。但し、それが
 求められていないならば、次第に苦しくなる一方ではなかろうか。




 で、これは別にビジネスに限った話でもないな、と思っている。自分以外の
 誰かのためにやっていることの方が、たしかに、続いているのかもなぁ、と。
 自分のやりたいことと、誰かが求めていることを如何に重ね合わせるか、
 ああ、そうか、それが戦略なのかと、最近腑に落ちている。

 これについては、
 SFCnagoyaの経験が大きかったのかもしれないな。

 あれは、かなり自己満足的なところがあった割に、みんなからイイネ!とは
 言われていた気がする。そんでもって、僕の頭の中では、の話だけど、
 あのコミュニティは名古屋にとって重要で必要だったと今でも思っている。



 「 自分のしたいこと 」無理にのばして、拡張して、世間の求めている
 ことに合うようにしていないか、という違和感だ。この感覚と今日の記事は
 矛盾している。



 違和感が消えたわけではない。
 ただ、自分のWill( これがすっごい捉えづらい )と Need を合わせ
 ていけるのではないか、という予感と、そのすり合わせの戦略こそが
 おもしろいのではないか、という感触が加わったのだろう。






 本題とは関係ないけど、改めて、このブログに自分の思考logが残って
 いるってのはいいなぁ。