お邪魔して来た。といっても、そんなに大仰な企画ではなく、
長屋のアットホーム空間でゆったりと映像を見る。なんだか
普通に友達の家に遊びに行くような感覚だった。
【 みんなで化粧動画を見る図 何やってんだかw 】
午後、僕が居た時間に見たのは、「 棟梁 」と「 ブラタモリ 」
堂宮大工を扱った棟梁のマニアックさもさることながら、( 意外に
教育論だったりする。後進を育てることと、大工にとって工作道具、
刃物が如何に大切か、が強調されていて、いろんな分野への示唆に
富む )、ブラタモリ日本の住宅編からの気付きは相当のものだった。
やるな、NHK。
長屋、洋館、日本家屋、団地、と日本の住宅変遷をブラブラとまわる。
そのそれぞれの住宅にある考え方や歴史、価値観の中に、意外っちゃ
意外なものがちらほら見つけられた。単に僕が知らなかっただけだがw
■ 長屋
江戸時代の長屋は6畳1間。そんな狭い空間に家族が住んでいたとか。
昔っから、過密な人たちだったのだ。そして、長屋はよく燃える。2~3
年に1回火事で燃えてしまうので、家にそこまでお金をかけない。所有
せず、固執せず、ある意味で庶民はみんなノマドだったのだ。
その身軽な姿勢と、家をかまえ、土地を守る思想は対照的だ。
■ 洋館、は飛ばして、日本家屋
明治維新後、ちょっと裕福になりはじめた日本の裕福な庶民は自分の住宅
を持ちはじめる。そこには応接間がある。人を迎える文化があったのだ。
いつでも人が来たときにご案内できる部屋があって、「 家 」が完全に
クローズドでない。外にひらかれた空間を住居の中につくるような、そんな
考え方は、アメリカのホームパーティ文化ほど仰々しくはないが、オープン
な方向性である。
ああ、そうか。 と。そういえば、日本の住宅は結構オープンだったのだ。
■ コンクリート住宅、団地
日本の家屋は燃えやすい。その特性が仇になったのが、関東大震災だった。
リート住宅を目指して走った。避難の場所として、鉄筋コンクリートは
安全で、安心を与えてくれるみんなの理想だったのだ。
なるほど、なっとく。 そりゃあ、戦後の日本にコンクリートが広がるわ。
そして戦後には鉄筋コンクリートの団地がみんなの羨望の的となっていく。
だって、2DKって、庶民の長屋から比べれば相当に広いんだものね。
「 木造がいい 」とは言うものの、やはり今ができたのはそれなりの
理由があったし、その当時、その当時の人たちが真剣に悩んで、つくり
あげてきたものなのだ。 そんな視点が抜けてたなぁ、と感じるとともに、
ブラタモリの舞台が東京だからかもしれないが、「 その当時の人たち 」
が主に東京の人たちで、東京の事情に合わせて日本がつくられてきたん
じゃないかなぁ、とも、思ってしまうのだった。
それにしても、NHKがいい番組をつくるっていうのは、何か気に喰わ
ないというか、釈然としないな~ なぜかw