合意形成、とか、意思決定って言葉がある。
合意するとか、決定するとかってことは、自分ではない
「 誰か 」と話し合ってすることだ。どっちかってい
うと、他者がいないとできないことでもある。
合意形成をするには、「 他の人 」が必要である。
と、して、どうにも最近思うのは、「 私は1人ではない 」
ってことだ。自分の中には何人もの人がいて、頭の中で
やんややんやと騒いでいたりする。これは僕がなんとか
失調症ってわけではなくて、みんなそうなんではなかろ
うか。 よくある天使と悪魔があたまん中でバトルする
やつだ。
だから、僕の場合、結構やすやすと矛盾する。
矛盾を容認してしまうことが、僕の「 わかりにくさ 」
の原因の1つであることは、まちがいないと思う。
さて、
こうなると、意思決定ってのは、自分の中でも起こって
いるわけで、さらに他者ともしなきゃならない。話し合
いの相手が自分であれ、他者であれ一緒であり、まぁ、
変な話自分の中にも何やらかんやら、たくさんいるようだ。
?
さてさて、
こうなると、どこが自分で、どこまでが他者か、境界が
曖昧になってくる。境界があやふやになり、他者が自分で、
自分が他者になる。まどろみ、まじわる、昼と夜の間、
トワイライトシーンだ。
【 写真で言えばブレるってこと。適度にブレる空間は居心地がいい 】
どーにも、わたしは私だけではないし、他者はうつし鏡の
ように、わたしである。スピリチュアルな話だなぁ、と自
分自身でも思うw
だけど、この多面性、自分の中の矛盾、境界の曖昧さ、って
ものは大切にしないと大変危ういような気がしてならない。
シンプルにすること、わかりやすくすることはビジネスの
世界では必須の考え方である。 だけど、残念ながら(?)
ビジネス界に生きていないので、それ以外の新しいパラダイム
を感じていける場にいることができる。
「 曖昧なものを、整理して捉える 」ってことではなくて、
「 曖昧なものを、曖昧なまま処理する 」って考えてみたい。
次のステップを考える段階にいて、自分のもつ曖昧さを
あやふやに手玉にとることができないものかなぁ、と、
何となく考えている。 こんなんだから、いつになっても
たくさんのわたしに煩わされるんだろーな(笑)