meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

相反する思想への姿勢


 現代は多様化の時代である、 と誰が言ったか知らないが、誰でも
 そんなことを言ってそうな時代ではある。多様化/多極化/多面化、
 ジェンダーフリーで、思想フリー。というより、規範や統一的な価値
 観がなくなって、何が正しいかわからなくなっていると言った方が
 現状に近いのかもしれない。

 大昔に読んだ文章で、たしか、こんなのがあった。

 科学( だったかな? )という巨大なタコは自らの足を食べはじ
 めたのだ。

 とか。確か、浪人時代に読んだ文章だから、もう、ほんとイメージ
 しか頭に残っていない。おおよそ、科学的な考え方、前提から、価
 値から問いはじめる考え方が、自らに問いかけはじめたみたいな意
 味だったと思う。

 まぁ、本当かどうかは置いておいて、規範は崩れた。「 正しさ 」
 の基準は、誰も与えてくれなくなったという。その結果、多様な視点
 が生まれて、ひと昔まえから考えたら相当はちゃめちゃな世の中にな
 っているんじゃないかな。80年代までに排除されてきたマイノリティ
 、右翼だとか左翼だとかの、そんな思想までもが復活して、「 多様 」
 の中の1点にしれっと混ざり込んでいる。


 ここまでは、大まかにはみんなが頷く、当たり前の話だろう。


 さて、そんな中で最近感じるのは、以下の2つの背反する思考のどち
 らを選びとるべきか、ということだ。

 ○ 多様を認めつつ、いろんな価値観が共存していけるようにする。
 ○ エコなど、ある種の価値観を広め、それに反する思想を認めない。


 この2つの立場を「 背反 」と表現していいかどうか、って話もある
 だろうけど、それもちょっと置いてしまって話を進める。前者であれば、
 環境保護も環境破壊も、貞操を守るも遊びまくるも、健康食志向もジャ
 ンクフード志向も、全て認められる。それらは個人が選びとっていくも
 のであり、そして、私は私、あなたはあなた、と割り切って共存してい
 くようなあり方だろう。後者は、多様の時代にある種の規範を提示する。
 「 これって、こうあるべきだよね 」と言い続け、啓発する。



 なにか、最近のノギャルやら、林業女子、有機栽培の農業なんかを見て
 いると、「 いろんな考え方があるけど、そこに共通するような、基盤
 的なものはあるよね! 」的な、流れが出てきているように思えてきて
 いる。大量生産/大量消費、一億総中流のような1つ上の段階の規範で
 はなくて、何か人間の原理原則に戻って、そこで底流しているような規
 範を見出しているような。

 「 やっぱそうだよね! 」 みたいな。

 このある種の原理的な価値観が広まりつつあり、それ以外が排斥されつつ
 あるのを感じている。環境を破壊し、大量生産し、ただ稼いで遊ぶだけに
 働く。そんなキリギリスがいたとして、それでもいいとアリは認めて共存
 するのだろうか? なにか新たな、そして統一的な価値観が生まれつつあ
 るのかもしれないな、とも感じている。


 そんな中で、もう1度考える。

 ○ 多様を認めつつ、いろんな価値観が共存していけるようにする。
 ○ エコなど、ある種の価値観を広め、それに反する思想を認めない。

 みなさんなら、このどちらの立場をとるだろうか? 僕は今のところ、前
 者に立ち、この前の東京紀行のように、バブリーな思想を間違いだと断定
 できずに悩んだりしているのだ。