情報の非対称性を、遊べないか?
結構から設定していたテーマに、
「 情報の非対称性をいかになくしていくか 」
というのがあった。前職がWEBの制作会社ということもあったし、
もともと、コミュニケーション分野には興味があったのだ。会社を
辞めた当初は、コミュニケーションの最適化だとかなんだとか、
言っていた覚えがある。たしかに、情報の非対称性というのは、
経済学の分野でも、どうしても越えられない壁として最適配分を
阻んでいる要因の1つだ。
ここが下がったらいいんじゃないの~?みたいなことはずっと考
えていた。頓智ドットが言っているスケスケ社会ではないが、み
んながみんなのことをよく知っていれば、そりゃあ、win-winの
関係なんてスグにでも見つけることができる。
みんな「 サトラレ 」社会 ってのも、案外悪くないとは思う。
が、
まぁ、そんな世界が来たらエデンなもんで。あったり前のことなん
だが、他人の考えていることはわからないから、おもしろい。非対
称であることは前提として受け入れ、その非対称性を遊ぶ、楽し
む。そういうアプローチの方があってるんだろうなぁ~、と最近、
気づいたというか、戻ってきた。
【 昔、勢いでつくったやつ。 スタンスはむしろ昔に戻った 】
非対称であることを、埋めていく楽しさもあるけど、非対称である
ことを遊び、おもしろがる姿勢をいかに作り出していくか。ここが、
これからの「 メディア 」を考えるポイントになってくる、と思って
いる。 おそらく、「 対話 」や「 問い 」だろうなぁ。 たぶん。
他人を知っていくことも楽しいのではあるが、他人と違うことに
遊ぶ姿勢ってのを見出していきたいなぁ、と考えているわけだが、
えっらい漠然とした、抽象的な話になってしまったな(笑)