meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

天の邪鬼の由来 正しさを嫌うわけ。



 「 100%正しいアドバイスは、120%役に立たない 」


 って言葉をずーっとおぼえている。おそらく中高生のときに読んだ、
 河合隼雄の本の中にあった言葉、だ。たしかに、例えば、数学が
 できずに悩んでいる子に、「 遊びの時間を減らして、数学の勉強
 をしてみたら? 」とアドバイスしたところで、なんら効果はない
 だろう。

 昨日のマイプロでも再認識したことだが、僕は、「 正しいこと 」
 が嫌い、なのだと思う。いや、正確には「 こうでしょ! 」とか、
 「 こうだ! 」「 こうなの! 」「 これが正解 」みたいな
 のを押しつけられる雰囲気が嫌いなのだと思う。

 某イベントにて、なんだか知らないがえらっそうなおじさん方が、
 「 こうなんだよ! 」と主張する様子に激しく違和感をおぼえた
 のは、このためだ。その主張が正しかろうが、その主張に共感しよ
 うが、、、そこに正当性があって、他にないかのような雰囲気自体
 に、うげぇ、となってしまう。その言葉はどんなに正しかろうが、
 僕には響かない。


 自分のことは棚に上げておいて、拒否反応が出てしまうのだ。


 昨日、@ueharaetsuko に「 ふわふわさせること( 考えさせた
 り、悩ませたり )にこだわる理由は何か? 」と問われて、
 「 わかりやすいこと よりも、わからない・わかりにくいことの
 方が興味があるから。 」みたいな事を答えた。これはこれでその
 通りで、わかっているものに好奇心は向かわない。わからない・わ
 かりにくいから、深く考えようとする。



 ただ、それだけでもないな、と。このナナメ感、天の邪鬼さの由来を
 辿ると、おぼえている範囲では小学校時代まで遡ることになる。



【 小学校の写真までは遡れない。これはデジカメ買って52枚目の写真 】


 小学校時代から、僕の周りには批判的精神旺盛な奴らがたくさんいた
 ように思う。テストで環境問題について問われ、「 自分が生きてい
 る時間だけ環境がもてば、それでいい 」なんて答える友達がざらに
 いた。今思い返せば、それは極度の正解注入型人権教育によるものだ
 ったんじゃないだろうか。

 小学校時代から、なんだか知らないがやたら人権教育、特に被差別部
 落についての教育が激しい学校だった。「 みんな仲良く 」とかな
 ら、まぁ、そんなうまくいくわけねぇしw ぐらいの感覚しかもたな
 かったかもしれないが、この部落差別の話が、もう、ほんと、異常だ
 ろうってぐらいにあって。

 丸1日人権教育って日も結構あったんだよなぁ。

 話される言葉は、「 部落の人たちはいわれのない差別を受けてきま
 した。これはおかしいことです。みんな平等なんです 」ってなこと
 で、まぁ、これは、正しいんだろうけど、そうもガンガン言われると
 本当にそうなのか疑いたくもなるものでw

 江戸時代の村民が部落の子をいじめるわけですよ。棒で叩いたり。
 アニメだからか、その場にいないからか、ひどなぁ、って実感はあん
 まりなくて、それよりも、村民も虐げられてたんじゃないの?ってと
 こに思考が向かうの。この時代、村人も苦しかったでしょ、って。

 中学時代、水平社宣言だったかを読んでの感想に、「 獣の皮を剥ぐ
 仕事が穢れてるみたいなことが書かれてるけど、これって獣に対して
 差別してるんじゃないの? 」みたいなことを書いて先生に呆れられ
 たか、したような記憶もある。極度に「 正解はこれ! 」と注入
 される中で、素直に受け入れられた人はいいだろうけど、受け入れ
 ずに「 ま、差別とかイジメとかなくなんないよね~ 」みたいな
 意見をもつやつも多かった。


 訴え過ぎたがための、拒否反応の蔓延である。


 だいたい、部落・同和地区出身の友達とも普通に接していたから、
 被差別部落についての教育って言っても、現実感はなかったんだよ
 なぁ。



 と、まぁ、そんな感じで、人権教育に、ひいては、正解注入型への
 拒否反応が育まれていき、現在に至るというわけです。高校2年、
 高校でも人権教育に力を入れはじめたときに、おかんが真剣に転校
 を考えたというのは、今は笑い話。それほど、僕は人権が嫌いだっ
 たのだ。

 ( ちなみに、そのときは当時の担任がよかった。正解注入型と
   いう言葉は、その担任に教えてもらったものだw )




 数学においての正答は納得できるが、社会においては正答は納得
 いかない。正しさは1つでないはずだ。そして、数学さえも大前提
 に則ってやっているもんだ。

 「 今やってる幾何学だって、平行な二本の線はどこまでいっても
   交わらない っていう大前提が崩れれば成り立たない。ユーク
   リッド幾何学以外の幾何学だってあるんよ 」

 これも、高校の先生に聞いたことだ。