meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

船頭多くしたまま、震災救援できないのかなぁ。



 なんだかんだ言って、「 震災 」が気になって仕方がない日々を
 過ごしている。原発・停電騒動も未だに終着点が見えず、なんだか
 殺しても殺しても生き返るゾンビと戦ってるぐらいな精神的消耗の
 中にあって、、、つまりは、疲れ気味だw

 この間、各地、各所、各コミュニティで、支援だの、救援だの、行
 動だのといろんな話が飛び交っていて、これもまた食傷気味になっ
 てしまっていて、困っている。以前も書いていたように、「 何も
 しない 」というスタンスは変わらないのだが、まぁ、これ、どう
 にかならんか、と感じずにもいられない。今日も名古屋駅にて募金
 の声が響き、頑張っているのはわかるんだが「 何をそんなに大声
 を。 」と思わないでもない。というか、そんなに張り切れる原動
 力は何なのだろうか?と疑問に思ってしまう。




 多様化、多極化、分散型の流れにあって、雨後のタケノコのように
 「 アクション 」がにょきにょき出てくるのは自然なことだと思
 う。個々それぞれが、自分の良心に( あるいは、穿って言えば良
 心の呵責に )従って行動を起こしている。船頭は多く、どこに寄
 付していいのやら、混乱状態、群雄割拠的な様相を呈してはいる。

 そんなんなもんで、この乱世をおさめようとしたり、「 多頭 」
 に横串を刺そうとする動きも出てきていて、それはそれでいい自浄
 作用なんだろう。やはり緊急時には軍隊的、ピラミッド的、もしく
 は、統一/統合的な体制を組んで最適な統率を行うべきなんだろう。
 多頭が多頭のまま最適化していくような形が現れることを無責任に
 期待していたのだが。。。




 今回の情報流通にしてもそうだが、結局は旧来の権力がソース化
 してしまった。本当の1次情報はデマだのなんだのにカテゴライ
 ズされてしまった感が残る。最終的にはみんなが頼るべき1つの
 よりどころに集中してしまい、多極分散は保たれなかったと言っ
 てもいいと思う。

 特にチェーンメールはいけなかった。twitterとは違い、更新頻
 度が遅過ぎた。さらに多数にオープンでもないので、集合知を有
 効に利用できなかった。



 話を救援体制に戻す。僕個人的な意見としては、この救援体制も
 出来る限り多頭体制のまま、船頭が多いまま、進められればいい
 と思っている。それは、多くの支援主体があった方が、マイノリ
 ティへの気配りがきくからだ。行政の全体的支援も大切だが、
 NPOがアレルギー体質の人、ホームレスの人、妊婦さん、幼い
 子供を抱えるお母さん、障害をもった方、などにピンポイントで
 支援することも必要不可欠である。

 但し、みんながバラバラに動くことにはエラーがつきものである。
 多極分散の最たる例、インターネットの世界と比べて考えると、
 エラーは避けられないような気がしてくる。インターネットはあ
 る意味で「 エラーを許容する 」構造で成り立っている。更新
 スピード、通信スピードの速さなどがエラーの発生を「 まぁ、
 いいじゃない 」と許している、と、僕は理解してる。ウィキペ
 ディアに代表される集合知も、誤った情報が更新されることで成
 り立つ仕組みだ。

 となると、もちろんのことながら、ミスが許されない状況下にて
 意思決定者なく行動してしまう多極分散的な体制は、適さない。
 時限爆弾の赤と青の導火線を目の前に、平社員ばっか10人ぐら
 いが並んで、しかも相互にコミュニケーションとれてない、って
 なもんだ。誰か1人が先走れば、命運はそいつの肩にかかる。




 つっても、

 統括本部をつくるってのは、有効な手段なんだけど、旧来の価値
 観っぽくもあって、なんとなく残念だなぁ、と。連携のイメージ
 に書いたような、理想像ができてしまうアーキテクチャを仕組ん
 でおかないといけないんだろーね。

 ま、その仕組みのアイデアはないわけだがw