meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

公式RT廃止論


 昨日のエンドゴール平日勉強会で大久保さんと話していた
 ことをまとめつつ、ちょっとはげしめなことを書こうと思
 う。といっても「 廃止 」ではなく、投げかけのような
 こと、です。


 今回の震災においてソーシャルメディアが果たした役割っ
 てのは、大きい。既にいろんなところで語られているよう
 に、「 可能性 」も見えれば「 課題 」も明らかにな
 ってきている。整理するにはまだまだ時間がかかるだろう
 が、感覚的には大手メディアも冷静な分析をしているなぁ
 という印象だ。ネットも十分に認められてきたってことな
 んじゃないだろうか。


 さて、話をtwitterに絞ろう。今日のタイトルは「 公式
 RTの廃止 」である。


【 公式RT推奨 に対する違和感 】

 以前から公式RTはなんとなく気に食わない存在で、あんま
 り使っていなかった。みんなも多分同じ感覚で、公式RTが
 堂々とめぐりはじめたのは、震災翌日ぐらいからだったと思
 う。曰く「 非公式RTではタイムライン上に同じ情報を何
 度も表示してしまう 」とのこと。


 なるほどなぁ、と違和感を感じつつ、許されてみると公式
 RTはワンクリックで作動することもあり、そのまま馴染ん
 でしまった。「 操作の簡単さ 」は広がりを生む。気づけ
 ば違和感の正体をきちんと整理せずに使ってしまっていた。


 この公式RT推奨はtwitterの性質をなにか誤解しているよ
 うに思えた。同じ情報が重なるのは非効率であるという意見
 には納得するものの、そもそもタイムラインなんてそんなに
 丁寧に追うものではないのである。つまり、普通、つぶやき
 はつぶやきであって、誰かに「 確実に 」届けたいもので
 はない。なんとなく見て、見逃していくものなのである。

 だから、重要な情報はRTをして、上にかぶせていく。最新
 の情報こそが有用であるという思想があったはずで、正確さ
 よりも最新と更新を求めていたのではなかったのだろうか?

 これが公式RT推奨時になんとなく感じていた違和感だった。



【 簡単すぎる公式RT 】

 公式RTは情報を右から左へ流すだけの機能になってしまっ
 ている。ワンクリックで友達へ、さらにワンクリックでその
 先へ。この簡単さは速度を高めると同時に「 思考停止 」
 を生みやすい。つまり、「 いい情報! 」と感じたが直後
 にその発信者となってしまい、さらにその情報の責任を他人
 ( 情報発信源の人 )に押し付けてしまえるのが、公式R
 Tと言えないだろうか?

 非公式RTでは、「 発信者は私 」である。フォロワーさ
 んたちのタイムラインには「 私のアイコン 」が表示され、
 そのRTの責任を負うのは、もちろん、「 私 」だ。公式
 RTはこの感覚をざくっと切って落としてしまってはいない
 だろうか?

 今回のデマ情報の流布に対して、効果的なのは、個々人の情
 報受信/発信リテラシーの向上である。わざわざ「 思考停
 止 」を生みやすいアーキテクチャを組んでおく必要はない
 のではないかと思うのだ。



【 媒体の意図が読めない 】

 これは大久保さんの話でわかってきたことだが、どうやらリ
 テラシーが高い人、情報を鵜呑みにしない人は、その媒体が
 どういう意図/方向性を持って伝えているか、を差し引いて
 情報を読み取っているようだ。


 NHKやTBSや朝日新聞。様々な媒体がある中で、それぞ
 れの特徴をよく知っており、左寄りだから、右寄りだから、
 国の機関だから、民法だから、と間に入り込む意図や諸事情
 を含めて解釈している。

 だが、今回のtwitterでは事実上その読み取り方が不可能に
 なってしまい「 性善説 」に基づいてRTせざるを得なか
 ったように思う。特に公式RTでは、「 自分がフォローし
 たわけでもない、なんだか知らない人 」が突然タイムライ
 ンに現れる。ちょっとでもその情報発信者の文脈が理解でき
 ていれば、その裏にある意図を差し引いて自分の思考に持ち
 込むことができる。しかし、誰かわかんない人で、公式RT
 をした人が感覚的に流している情報だとすれば、解釈不能に
 陥ってしまう。使えない情報として捨ててしまえればいいが、
 ケガ人の情報などで、切実であればあるほど、なんと対応し
 ていいやらわからず、そのまま誰かに投げ返すことが自分に
 「 できること 」と思ってしまう。

 さらに公式RTはそこに自分の「 疑念 」を載せることも
 できない。



【 公式RTはスケールアップではないか? まとめ 】

 ソーシャルビジネスとかでよく言われるのは、1社が拡大す
 ること( スケールアップ )で広げるのではなく、各地域
 の担い手に真似されて広がっていく、スケールアウト戦略の
 方が、望ましい、ってことだ。このブログでもちょくちょく
 書いている多極分散型の構造である。

 この考え方と対比させたとき、公式RTは1人の情報源がど
 んどん広がっていくスケールアップに見えないだろうか?マ
 スメディアと同じような形をしてないだろうか?各地それぞ
 れの担い手が「 発信者 」となって広げていく姿の方が、
 個人的には分散的で好みな形である。


 僕は、そんなに人を突き抜けて拡散する構造はおもしろくな
 いなぁ、と思う。拡散というのは、撹乱があって、乱反射と
 解釈が入り交じって、選別されることで集合知が働く。その
 プロセスでは、おそらく多くの多くのエラーが起こるだろう。
 でもそのエラーを飲み込んで、やっぱり突き進んで更新を重ね
 て、編集していくのが、twitterの「 あり方 」だろう。

 「 正しさ 」を一本通せばいいってもんじゃない。
 カオスがなけりゃ、みんな「 自分の解釈 」をしない。

 思考の機会をうばっちゃいけない。
 その苦労から逃げても、おもしろくない。

 ってなことで、今回は公式RT廃止論を唱えてみた。もちろ
 ん手軽さや迅速さの面で公式RTは優れているので、本気で
 なくそうなんて考えていない。そんなに熱くなれるほど真剣
 な人生を歩んでいるつもりもないw


 はじめに書いたとおり、1つの投げかけである。


 震災発生時に、twitterにはりついて、どうしたらこの発信
 を集めて、知とできるのかを考え続けていた。多分、これか
 らもその問題に向き合い続けるだろうから、最後はこんなツ
 イートで締めくくってみる。


 @_kotomoさんのこんなつぶやき。
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 『集合知』の良さって、あらゆる知が集まる中で正しさが大
 多数の意見として証明される事ではなく、あくまで『知は知
 でしかない』という態度にあるのだと思います。そこに正論
 も結論もない。
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 うん。あくまで『 知は知でしかない 』



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