meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

深夜営業とか、実はすんごいありがたいんじゃないだろーか。


 久しぶりによく本を読んだ気になっている。「 その気になる 」
 というのは、注意しないといけないんだが、遅読も甚だしい私が
 1週間以内に1冊以上読んでるんだから、まぁ、ちょっとぐらい
 の充実感は許されるだろう。

 しかも今日1日でもう1冊、読了。松岡正剛著『 わたしが情報
 について語るなら 』は小学校高学年向けだけどねw 編集学校
 を終えてから、松岡正剛の本はかなり読みやすくなった。底流す
 る考え方を経験した後なので、馴染みやすい。



 ところで、今日の読了感はなんだかちょっと違った。「 ごちそ
 うさま! 」とでも言わんばかりで、線引き用に持っていた月光
 荘の8B鉛筆がお箸にみえたw と、同時に、食事には「 いた
 だきます 」「 ごちそうさま 」と感謝を表明しているのに、
 本には感謝してないのもおかしなもんだと感じた。

【 最近愛用の8B鉛筆。 ほんとは絵を描くためのもの、の、ハズ 】

 生命をいただいているか否かっていう違いはあるものの、多くの
 サービスに対して、最近「 感謝 」することが少なくなってき
 ている気がする。深夜だろーがタクシーやコンビニは営業中で、
 運転手や店員が深夜でも働いてくれているから、そこのサービス
 が受けられるんだよなぁ、ってことをいつだったか東京で感じた
 ことがある。そんな時間でも提供されていること自体がすごくて、
 だから、僕らは夜遅くまで活動できるんだよなぁ、と。

 当たり前のことなんだけど、サービスの提供がなければ、いくら
 お金を積んだって、移動もできないし、何か買うこともできない。
 まず、供給側に「 購入の機会 」をつくってもらわなきゃなん
 ともならないわけだ。その機会をつくってもらった分、深夜の料
 金とかは高くなったりするんだけど、そうは言っても、それが普
 通になっちゃいかんな~、とたまに思うわけだ。

 お金ってのは、サービスを受けた感謝のあかしに支払うもんなん
 だろうけど、だからといって「 感謝 」がそのまま「 お金 」
 に置き換わるわけでもなかろうと。

 なんだか変な精神論のような話にみえてきたなw 医者とかで考
 えるといいかもしれない。病気を診てもらうことができる、って
 のが「 当たり前 」になっちゃってるけど、今、診察できる医
 者がいなけりゃ、そんなの成り立たないわけでさ。実はすんごい
 「 ありがたい 」ことなんじゃないかと。


 いろんなサービスに対して、そういう気持ちを忘れてんだなぁ、
 ってことを、本を読み終えて、ふと気づいたのでした。この本だ
 って、つくってくれた人がいなきゃ、成り立たない。いちいち感
 謝してたらキリがないし、コンビニの店員にキレたりすることも
 サービス向上のためには大切なんだけどw たまには、こうやっ
 て「 サービスを受ける姿勢 」みたいなもんを見直してもいい
 んじゃないだろうかな。