meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

お金の使い方に関する、1つの考え方


 最近の僕はひどく怠惰である。 どうしようもなく睡眠時間が長くなっているのは、次の進路について考えていることと無関係ではなく、いつもうんだらうんだら悩んでは、思考停止に逃げているようである。

 さて、そういうことは、またの機会にまとめることにして、ちょっと「 お金 」の使い方について書いてみたい。( お金とは何か?という問いにも一旦のまとめをつけなければなぁ。。。 )

 僕は、世間一般の感覚から言えば、紛れもなく低収入であるw 年収で言えば、200万ぐらいになるんだろうか?これで名古屋市内の3LDKに住んで、普通に生活してる( ルームシェアだけどw )ってんだから、すごいんじゃないかと、自画自賛してみる。 と、いうより、若い社会人の中では、かなり豊かな生活をしているようにも思う。
 部屋は広いし、親はいないしw、西粟倉の木の床とか買っちゃってるし、本も結構買っている。パソコンはmacbookairの前のバージョンだけど便利なやつを持ってるし、カメラのレンズは4万円したw あと、月1回は必ず遠出をしている。 ある種物欲のかたまり的なところもあって、「 もし僕があと100万円稼いでいたら 」とか考えると夢のような生活になる。それができてない情けなさも感じながら。。。

 そんなこんなでゆるゆる生活してるんだけども、しばしば心苦しくなることがある。私の「 お金の使い方 」は1点豪華主義にならざるを得ないからだ。( と、ここを ならざるを得ない と表現してしまっていいのかも疑問だ )
 つまりは、普段の買い物について、どうしても節約してしまう。例えば、何でもいいんだけど、ハサミを買うとしよう。 ハサミを買うのに、一番安いのは100円均一であって、それで機能的に不自由しない。ゆえに100均に行ってしまう。と、これは他の誰かの低収入や過酷な労働に跳ね返らないだろうか、と思ってしまう。

 野菜やお肉は国産を選んではいる。それが、納豆や豆腐となると、まだまだ、「 きちんとお金を使い切れていない 」というのが現状である。そして1点豪華主義は低価格帯のものに対してケチるために、低価格→低収入的産業をピンポイントに狙って首を絞めつける。我ながら、どうにもアホなことを続けているもんだなぁ、と思っている。こういう変なケチっぷりって将来に不安を持つ若手に多いんじゃないかなぁ、とも、思う。

 その安い靴下は、いったいどういう産業構造への「 賛成票 」なのか、と。


 まぁ、そんなに思いつめてもナンだし、そもそもアフォードするものを稼げてないんだから、仕方がない。ただ言えることは、僕が普通の会社員になって、年収300とかそれ以上になったら( って、いつかなるんだけどw )「 いい消費者 」になる自信があるってことだ。全ての消費にこだわって生きていくってのは難しそうだけどね。


 

「社会を変える」お金の使い方――投票としての寄付 投資としての寄付

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