ここ最近「 ゲーム 」をやっておりました (;・∀・) まぁ、何というか、何というか(笑)机の下で埃かぶってたPS2を引っぱり出し、3~4年ぶりにしっかりとゲームと向き合ってみようと、思い立ってみたのが9月下旬。で、一昨日ぐらいにクリア。プレイ時間が50時間。
えっと。 社会人のやることじゃないですね(笑)
もともとクラス40人いれば、5番目ぐらいにはゲームをやってた奴なんで。ファイナルファンタジーに影響を受けて育ってて、今でも、RPGやアニメで描かれる物語/思想を参考にしてることが多い。今回もそうだけど、うん、やっぱりきちっと深いところまで描いてるRPGはやってて楽しい。
※ 以下、テイルズオブシンフォニアのネタバレを含みます。 ※
【 手元にあって、わりと忘れてて、しっかり作られたRPG 】
この物語にずーっとついてまわるテーマに「 差別 」ってのがある。
エルフと人間の間に生まれた「 狭間の者 」、ハーフエルフ。このハーフエルフが徹底的に差別されて、居場所をなくす。人、ハーフエルフ、エルフ、誰でも一緒にいていいんだ、と主張する主人公に対し、ラスボスは「 そんなのは無理だ 」と言い返す。
異なる者が共生できるハズがない。だから、全人種を統一する、というラスボス。自分と違うものを認められないのは、お前の心の弱さだ、と反論する主人公。
そんな展開の中で、ラスボスがぽつっと言った言葉に、ぐっときた。
「 心が弱いことは、罪なの? 」
そんな感じの言葉。差別することは罪に見えるが、それを産み出している「 異なる者を認められない弱い心 」は責められるべきなのだろうか? 考えてみると、なんだかフクザツになってくる。
心の弱さは克服されるべきものなのだろうか? 成長意欲の強い人から見れば、当然ながら克服されるもんなのだろう。だけど、僕個人的には、「 弱いものは強く変えるべきだ 」って強制するのは反対である。心の弱さは罪ではない、と思いたい。
ところが、その弱さは悲劇を生んできた。他者を認められないがために、自分の利益を守ろうとするがために、醜い争いや裏切りが起こる。ゲームの中でも、人間の歴史でも同じだろう。
罪を憎んで人を憎まず、とは言うが、この心の弱さはどう扱ったらいいのだろうか? 罪ではないと思いたいが、やっぱり罪なのだろうか?罪ではないけど、克服していくべきものなのだろうか? そのままで肯定されるものなのか? 何かで大きく慈しまれるものなのだろうか?
そして、そもそも何を基準に弱い強いを測るのだろうか?
「 心が弱いことは、罪なの? 」
う~ん、いい問いかけだなぁ。 ゲームですが (;・∀・)
テイルズ オブ シンフォニア (Tales of Symphonia)
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- 発売日: 2004/09/22
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