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meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

モノを買う時代から、ヒトを買う時代へ

ゆるい生活 働く 考えてること


 また変なことを言い出したな、って誰かに思われてそうだな。実際、考えてることは変なことばかりなのだが(笑)

 先日、エンドゴールゼミのとき、久々におっちーと話しこんだ。帰り際の金山駅で、多分30分は立ち話した気がする。えらい寒い中で、よーやるわ、と我ながら思う。変な話についてきてくれる友に感謝々々である。話題は、雇用の話から、経済とかもう無理じゃね、的な話とかも含みつつ発散して、最後に行き着いたのが「 ヒト買うようになったらいいんじゃね? 」って発想だった。いや、人身売買するって話ではない。

 要は、ちょっと裕福な家庭はメイドさん雇ってもいいんじゃないかな?ってことだ。メイドだけじゃなくて、もっと細かい仕事、例えば「 1990年代の若者の雇用についてのトピックを調べてきてよ 」とか「 エクセルの使い方わかんないから教えてよ 」とか「 2時間ぐらい話し聞いてくれない? 」とか。個人が個人に対して、細かい仕事を出していく( 消費をしていく )ようになるとおもしろいんじゃないか、と考えたわけだ。

 しかも、そういう「 人への頼みごと 」みたいなのを、あたかもスーパーに行って食材を買うような感覚で、頻度で、習慣化してしまう。「 ちょっと、この荷物見ておいて。500円で 」ってな感じに(笑)。モノじゃなくてヒトを買う。それで経済をまわしていけばいいじゃない、と。


 これがどういう意味をもつか、っていうと、
 雇用と消費文化の2つの側面から話せると思う。


 雇用ってのは、まぁ、若者中心に就職できない人増えてるよね、っていう話だ。僕は、これからさらに働く場所は少なくなるんじゃないかと思っている。技術が発展すればするほど、働く必要は減ってくる。この流れは避けられない。

 そんな状況下で、少しでも雇用が必要だとなれば、やっぱり個人が個人へ発注する形があってもいいだろう。裕福な人は、豪華なモノを買うより、たくさんヒトを使ってサービスを受ける。その方がモノを介さない分、ダイレクトに雇用を支えられる。器用な奴は、そういう頼みごとだけで生きていくこともできるだろう。


 もういっこが、消費文化の面。これも個人的な感覚で申し訳ないのだけども、今年の夏に東北に行ったときの印象が影響している。津波を被った地域に行ったとき、僕はすんごい冷たい頭で「 ああ、なんてゴミが多いんだろう 」って感じたわけで(;´Д`) 人としてどうなの?的な倫理感は置いておいて、あのモノの量に驚いちゃったんだよねぇ。食器もあれば、ぬいぐるみもある。何かの置物に、オモチャに。

 実家に行くと、食器とか無数にあるよね。何に必要なの?ってぐらいタオルとかあったり。貯金箱も無駄に多い。高度経済成長時とかはプロダクトアウトで、つくったら売れる時代だった。それがどこからか、つくったら売らなきゃ、に変わって、生活の周りには不必要なモノが溢れかえってたんだなぁ、って。それを実感したのが東北ってのも、変な話だけど(笑)

 多分、マクロに見るとモノは本当に売れにくくなる。だって、もう持ってるから。その売れなくなるモノに変わって、何かがお金をまわさなきゃならない。だとしたら、ヒトでしょうw ヒトいらんかね~? な感じで。

 ま、第2次産業から第3次産業へ、なんてわかりきったこと。今さら言うまでもないんだけどさ。もう一歩踏み込んで、サービスって商品を買うんじゃなくて、ヒトを買う。ヒトの性格や関係も含みで買っていけば、消費に対する意識も変わってくんじゃないかなぁ。ヒトを商品みたいに扱うんじゃなくて、商品をヒトみたいに見るような感じになるといいよねぇ。


 とはいえ、冗談半分、である。みんな週休3日になって、個々人で事業もつとかできんかなぁ、とか笑って話してただけだ。流れていく方向は、まぁ、間違ってない。ヒトが売り買いされる時代にはなると思う。てか、既になってるんじゃないかな?今は雇用って言葉に縛られてることを、もっと個々人の手の届く範囲で、頼んだり、頼まれたり。その中をお金が流れていけば。。。

 どんな世界になってるのかわかんないけど、
 なんだか至極当たり前のことを書いた気がする。

 

 

 

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