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meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

震災支援の違和感リバイバル

 なんだかんだで震災支援ってのに関わり続けちゃっている。「 ちゃっている 」というのは、もちろん、
 もともと震災支援をやりたいとも思ってないからだ。僕はそんなイイコトをする人間ではないし、自分で
 は震災支援をしている気もしていない。震災が起こったとき、むしろ行動しないことを標榜していたぐら
 いである。あの時期の、あの熱狂的な流れに、危うさを感じたのは僕だけではないはずだろう。

 その危うさが、何か現実に立ち上がってきてくるのかも、と思わされたのが先日のイベントだった。久し
 ぶりに「 震災支援をしている方 」に出会った気がした。どうやって気付いてもらおうかと考えたが、
 そこに気付くためのプログラムでもなかったし、多分無理だろうと諦めた。やっぱりいたか、こういう人、
 っていう感触と、でもイイコトしてるんだろうなぁ、って複雑な気持ちが残る。

 その方が話していること、していることは、多分、正しい。 けども。。。

 思うのは、被災地からのありがとうを謙虚に受け取って欲しい、ってことだ。支援は相手のためであると
 同時に、自分の満足のためであると意識することだ。そうすることで、自分の行動の理由とか目的とか責
 任を全部相手に負わせない、ってことだ。



 被災地ってのは、ニーズのかたまりみたいなもんだと思う。直後に特定の何かが足りないとかはあるもの
 の、ある程度落ち着いた段階では、言葉は悪いかもしれないが「 どんな支援をやっても喜ばれる 」ん
 じゃなかろうか?って思うのだ。何もかもが足りないなら、誰であってもそこに役割を見つけられる。例
 えば、今の社会で、企業で、部署で、必要とされてないかもしれない誰かが被災地に泥かきに行ったら必
 要とされる、とか。それはそれでいいんだと思う。元気をもらって帰ってくるのもいい。感謝されて、承
 認されて、人は生き生きする。それでいいと思う。

 だけど、だからといって、それはあなたの価値が高いからではない。

 簡単に言えば、「 何やっても感謝される場所に行って、ありがとうって言われたからって調子乗ってん
 じゃねーよ、こんやろうぅぅ (゚Д゚) 」ってことだ。勝って兜の緒を締めよ、ってわけじゃないけども、
 どうか謙虚にあって欲しい。「 どーだ、こんなイイコトしたんだよ 」って言わないで欲しい。誇り方
 にもいろいろある。どうせなら、自分のためじゃなくて、他人のために誇ってもらえるといいなぁ、と思
 ったりするのだ。

 ともかく。被災地の支援って、感謝されて当然ぐらいなんだから「 こんなに感謝されてワタシ、トクベ
 ツ! 」って自尊心の餌にしない方がいい。そんな風に思う人は少ないだろうし、思ったからと言って、
 やってることはイイコトだし、害悪を生んでるわけでもないんだけどね。

 ただただ、僕がもやもやするだけだったりするのです。m(_ _)m
 なんだかんだで震災支援に関わってる自らへの戒めも込めて。



 あ、こんなこと書いたけど、イベント自体はとってもいい雰囲気でしたよ♫

 m(_ _)m

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