meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

【雑記】2012年3月16日(金)


 【 こんな写真に、何の意味があるんだろう? 】

  会報誌の原稿を書いています。これがなかなか終わらない。NPOの会報誌なんてどれぐらいの人が読
 むんだろうか?なんて考えたりもしながら、文章を練っています。きちんとしたクオリティを出しておき
 たいと思うのは、うちの代表がISIS編集学校の師範代をやっていたことと無関係ではないでしょう。
  特集の原稿書きというのは、まさに奮闘している感覚です。苦しみもがき、それでも何とか一矢報いよ
 うとするような。こういうとき、文章を書くっていうのはある種の苦行だなぁ、と思います。そんなこと
 を家に帰ってまでやっている僕は、やっぱりマゾなんでしょうかね?

  ところで、文章を書く感覚は、写真を撮る感覚にも似ているような気がしています。どちらも気軽に行
 うこともあるし、もがき、苦しみながら見出すときもある。そして、どちらの場合が結果をもたらすかは
 わかりません。さらっと撮った1枚がお気に入りになることもあるし、推敲に推敲を重ねた文章に味が宿
 るときもあります。そして、改めて考えてみると、どちらも変な行動です。誰に求められるでもなく、た
 だひたすら、撮ったり、書いたりを繰り返します。

  昨日ぐらいに「 写真をやる人の気持ちがわからない 」的なことを聞かれて、答えに窮しました。隣
 にいたとあるご近所さんは「 logだろう 」と言っていて、確かに僕も写真のデータは消さずにひた
 すらためてあるので、ライフログな気もしたのですが、どうもそれだけではない。そこで言われていたロ
 グってのは、多分僕がしていることよりはもっと客観的だったりするんじゃないかな、と思うわけです。
  だからといって、何か表現しているのかといえば、そうでもない。誰かに見せよう見せようとは思うの
 に、撮る方には体が動いて、共有する方には体が動きません。見せなければパーソナルに留まってしまう
 ものです。見せてコミュナルになって、公開してソーシャルになります。なんだかうちのハードディスク
 に留まっているのは、すごく可能性を狭めているような気がしないでもない。これには、便利なツール
 ないっていう要因もありますが。(;・∀・) 意外に写真はリッチコンテンツです。

  そしてこの問いは必然的に文章の方にも飛び火します。なんで書くんだろう?って。思えばそんなに文
 を書くのが好きなタイプではありませんでした。読書感想文とか日記とかは人並みにつけるぐらいで、ど
 ちらかと言えば、絵を書きたいヤツでした。(もしくは、ゲームしてたいヤツでした)日記を書いていた
 のは、中学3年のときと、高校3年、浪人時代だったかな。受験が迫ってくるとなぜか書き始めるパター
 ンがあったように思います。
  大学に入って、パソコンを持ってからはブログばっかりになりました。昔のブログを確認したら200
 5年の1月10日から始まってます。なんだか大昔の話ですな。あとは旅に出たときの日記。京都〜北海
 道自転車旅編と、フィンランド編、ネパール編の3つは手書きで残っています。なんだかんだで書いてた
 方なのかもしれません。
  これらの文章類も、基本的にはログなんだけど、ログと言われるとちょっとピントが外れている気がし
 ないでもない。特に公開範囲に置かれているものは性格が違う。一応、見せることを意識してるわけです。
 こんな文章でも (・・;)

  こういう行為に意味を求めるのもナンセンス、なんて言うこともできますが、やっぱりそんなこともな
 い。意味というか、目的というか、欲求があるのかもしれません。公開範囲にあるものについては、発信
 したい、表現したい、伝えたい、ってこととか。2つ前に書いた東日本大震災時の動きなんかだと、とて
 も目的を意識して書いている。発信することに意義を感じている。
  いつもNGOアースの代表をやってるみぽりんに「 みぽりんの活動は、みぽりんの思う幸せを他人に
 押し売りしてる感じがある 」とか言ってるくせに、僕も僕なりの考え方とか、世界観を押し売りたいと
 いう欲を持っているのかもしれません。「 コレいいでしょ 」とか「 こういう視点、必要やんね 」
 って感覚を、少しは持って書いている。公開範囲にあるものについては。
  だいたい1日のアクセスが10ぐらいはあって、そのうちの半分は僕としても(笑)、あとの半分は世
 界中の誰かです。ブログって性格もあってリピーターが多いから、きちんと読んでくれている人には何ら
 かの影響を与えているんだろうと思います。その人達の顔が何人か思い浮かぶってのもある。こんなに長
 いブログを読むのは、大概奇特な方々で、周囲に影響を与える人も多いんじゃないだろうか、って思う。
 となれば、じわじわと影響は広がっていくはずです。文化的土壌ができる。そこを狙っていなくはない。
 言い過ぎですけども。
  写真もそういうワールドモデルを伝えていくための1つのツールにしていこうと、、、ってこんな品質
 で言うことでもないですが(笑)言外のモノとか、雰囲気を伝えるときに、ちょっといい写真が撮れると
 すごく便利です。だからブログでは「 文章を支えるための写真 」って構図になりがちです。写真だけ
 で伝わるようなのを撮ってみたい気もしますが、それにはまだまだエクササイズが足りませんね。

  ではでは、そういう公開範囲にあるモノのために、バックグラウンドに写真だったり、テキストが積ま
 れているのか?と問われてしまうと、またぐるぐるしてしまいます。よくわからん感じですが、その行為
 の意味性/目的性と、無意味性/無目的性は切っても切り離せない関係にある。僕にとってみれば、意味
 も無意味も、欲求です。自分の欲に従って動いている。
  「 コレクターなのかもね 」と言われて、なるほどなぁ、って思いました。けど、敢えて言い切って
 しまえば探求なんだろうな。こう撮ったらどうだろうとか、こういうのを発信したらどうだろうとか、っ
 ていう意味でもそうだけど、むしろ、撮ること、書くこと、それ自体で何かを探しているような感じです。
 なんか英語のstruggleってニュアンスがとても近いように思う。もがいて、あがいて、何を目指している
 のかはわかりませんが、何か求めている。いっつも欲求不満です(笑)

  きっと、今日もあがいていて、明日ももがいているんでしょうなヽ(´ー`)ノ



 本当に、思ったことをつらつらと書いた雑記でした。

 m(_ _)m

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