meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

報告書を書いてて思うこと。成果ってなんだよ的なこと。


【 自宅で報告を書いてたりは、しません。ちょっとキレイだから載せただけです 】

  報告書を書いています。年度末なので。もうほとんど9割がた作業は終わったので、正確には書いてま
 した。今のNPOでの最後の仕事が終わっていくようで、順調に終わっていく安堵感と、ちょっとした淋
 しさを感じながらの総まとめでした。

  さて、本業では社会起業家の「 支援 」をしております。( って言い切ってしまうと、誤解を招き
 かねませんが、わかりやすさのために敢えて言い切っています )支援って言葉は、いろいろと難しい。
 応援をしているとも書けるし、サポートをしているとも書けるし、何かしらのアドバイスをしているとも
 書けます。報告書なので「 成果 」も求められます。成果、効果、達成したこと。法人格がとれたとか、
 どんな事業が生まれたとか、新聞に載ったとか、そんなことが成果に見なされるのかな、と思います。
  ですが、これらは全て、支援した相手、起業家さんたちが成し遂げたことです。それを支援する側の成
 果と言ってしまっていいのか、どうか。特に、僕なんかは、支援と言っても何にもしていない。それなの
 に、他人の肩車に乗って「 オレ、ヤッタゼ 」みたいなコトは言いたくないなぁ、って思ったりもして
 しまうのです。

  昔の上司が「 起業家が失敗したら支援者のせいにすればいい。起業家が成功したら、それは起業家の
 チカラによるもんだ 」みたいなことを言っていたのを覚えています。そりゃあ、そうだろうなぁ、と思
 います。リスクだって、覚悟だって、起業家さんが背負ってます。もちろん、支援する人が背負う何かも
 あるんでしょうが、僕が見てきた起業家さんたちの姿勢には、なんと表現していいかわかんないですが、
 ものすごいものがある気がしています。特に、いわゆる社会起業は、事業性があるのかどうかわからない
 ようなとこに向かっていく方々なので。強い信念がないとやっていけない。正直に言えば「 なぜ?そこ
 までして、人を助けたり/環境を守ったりするの・・・? 」って思うこともあります。
  たまに「 社会の当事者になろう! 」って文脈で、天動説と地動説のたとえ話を聞くことがあります。
 要は、問題を他人任せ(天動説)にせずに、自分が動いて(地動説)解決していこう、ってことだと理解
 しています。そんな話を聞くにつれて、支援する側は天動説だなぁ、と。自分が現場になるわけじゃない
 ですから。やりたい人を応援するってのは、どこまでも天動説、他人任せな部分がつきまとうんだろうな
 ぁ、って思うんです。だからこそ、支援者は現場を大切にしなきゃならないし、尊敬しなきゃならんのか
 もしれません。僕には無理ですもん。そんな覚悟。

  先日、お世話になったユースクエア名古屋市青少年交流プラザでの講座の打ち上げがありました。講座
 の参加者と一緒に、久しぶりにお酒を飲んで(僕がお酒を飲むときは、いつも久しぶりです)全く頭が動
 かなくなり、よくわからないことばかり話してしまいました。しかし、あとあと考えてみると、やっぱり
 こっちも同じで、何かを企画し、プロジェクトを動かしはじめたのは参加者の方です。僕はというと、や
 っぱり何もしていない。講座の企画とか運営はまがりなりにもやりましたが、別に講座がなくてもみんな
 普通に生きて、違和感を感じたら行動していたと思うんです。
  報告書には「 アクションを促すことができた 」とか書いてて、まぁ、間違いではないにしろ、それ
 が本当に必要だったかどうかは僕が決めることではありません。これから動いていく参加者の人たちが、
 もしかしたら「 ああ、必要だったなぁ 」とか思ってくれるかどうか、ってところです。それを「 必
 要でした! 」って言い張ることの重要性もわからなくはありませんが、やっぱり何か違和感です。でき
 れば「 たまたまそこにありました! 」ぐらいにまけて欲しいけど、そんなことを言ってるとうちの収
 益が危うくなってしまうので、悩ましいところです。

  じゃあ、支援の成果って何ではかればいいのさ、って言われるとたじたじしてしまいます。行政のお金
 をいただいて運営しているのに、成果が見えなければ税金の無駄遣いと言われてしまうでしょう。違う尺
 度での成果を見せていかなくてはならない。この点で、僕は何も提示できなかったなぁ、って気持ちがあ
 ったり、なかったりします。
  わかりやすい成果なんて、そうそう見当たらないわけです。起業支援なら、やっぱり起業を実現した数
 とかになってしまう。ひとりひとりの覚悟や挫折が希釈されて、支援機関の実績として出ていく。それは
 仕方がない。仕方がないから、支援した側として、何か自戒しておきたいんです。「 自分が出した成果
 ではない。相手がやったこと。相手が成したこと 」って。

  自分の中の何かを守るために言ってるみたいですね。たぶん何かしらの自己防衛でこんなことを書いて
 る気がします。さてさて、年度末です。こんなことを書きつつも、成果を誇り、次の仕事へとつなげてい
 く時期なんだろーなー、とは思ってますです。



 m(_ _)m