meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

最近気になっていること。モノづくり名古屋の活路?


【 もうちょっと斜め横断が簡単にできる土地になるといいなぁ、って思う 】

  先月、東京でコンサルやってる友達と飲む機会があった。そんときに「 電気自動車ってどれぐらいで
 広まるんだろーねー 」って話をしていた。確かそいつの話では、「 まだまだ先 」ってことだったよ
 うに思う。充電の遅さとか、何だとか、技術的に突破しなきゃならん問題があるそうだ。
  どうも文系脳なので、技術畑には疎い。リニアがいつ開通するか?とか、太陽光発電の初期コストが低
 下するのはいつ頃だろう?って疑問に対する手がかりを持っていない。誰か詳しい人がいたら、わかりや
 すく教えて欲しいぐらいだ。

  今の社会が抱える問題っていうと大仰だけど、例えば、環境、人口減少、過疎化、不況、雇用の減少み
 たいなことが挙げられるんだと思う。これらに対して、エコな生活しよう!とか、本当の豊かさって何だ
 ろう?とかで対処しようとする人たちが一定数いる。これを「 生き方アプローチ 」と名付けてみる。
 そんで、他方で、人口で光合成できる機械開発すればいいんじゃね?とか、めっちゃくちゃ速くて安全な
 移動手段があれば過疎とか都市とか関係なくなるっしょ!とかを考えてる人もいる。こっちは「 技術ア
 プローチ 」って言えるかな。
  どっちがどっちってわけでもないんだけど、人間の傲慢さとか、そういうのを考えると生き方アプロー
 チの方が自然に対して謙虚だったりするんじゃないかなぁ、って思ってはいて、実際僕の周りにいる人達
 はだいたい生き方アプローチ派って言える。でも、視点ってのは、1つに固めるもんじゃない。そういえ
 ば技術アプローチ側の状況を全然チェックできてないくせに、新しい生き方どうこう言ってたんじゃねぇ
 かなぁ、ってのがここ数ヶ月もっていた違和感なのだ。
  僕が住んでいるのは、名古屋である。モノづくりで成り立ってるような街、って言ってもいいのかもし
 れないのに、何も勉強はしていない。

  いや、理系の勉強を猛烈に始めよう!、なんて思ってはいない。ただ、考えてるうちに、どうやら名古
 屋の生死は「 技術開発 」にかかってるんじゃないの?と思うようになってきたのだ。
  残念ながら、僕は名古屋の文化的風土をあんまり好んではいない。昨日、京都に行ってきたんだけど、
 環境・人などがやっぱり違う、って感じてしまった。よくいう話だ。名古屋には優良な大企業がある。安
 定・保守・中流。そういう言葉が似合ってしまう街で、それは悪いことじゃない。だけども、それは旗艦
 に守られた安定であって、そこが崩れた途端に雪崩が起きる。2008年のトヨタショックがいい例だと
 思う。
  名古屋って、良くも悪くも、そういう塊なんじゃないだろうか?みんな同じく、真面目に仕事をして、
 企業で稼いで、幸せな郊外一軒家を建てる的な。僕から見たら神話みたいな世界が今でもあって、みんな
 きちんと仕事をしてるのかもしれない。そして、その生活に満足してて、危機だから生き方変えよう!っ
 たって、そうそう変えられるもんでもないかもしんない。

  だとしたら、本当にこの地域の突破口になるのは「 技術アプローチ 」なんじゃないだろうか?

  二者択一の議論でもないんだけど、本当はメカニカルだったり、バイオな新技術に投資すべきなんんじ
 ゃないのかなぁ、って最近考え出したのだ。と、同時に、たぶん技術者のコミュニティを育てなくちゃな
 らない。新しいアイデアとかを飛び火させたり、形にするのはいつだって、人と人との結びつきだろう。

  まったく知らない分野なので、技術開発の状況がどうとか、こうとかは知らない。でも、1つ新しい技
 術ができて、例えば、低コストの太陽光発電とかができたとしたら、瞬く間に市場が広がるだろう。それ
 って、名古屋の雇用を生み出して、ある意味で今まで通りの生活を担保してくれる。真面目に働く人が多
 いだろうから、1体となって、旗艦につき従って、だーっと好景気になるんじゃないかな?
  モノづくりの街だってんなら、新技術で1点突破。そのために開発への投資を惜しまずに、そこに賭け
 る!!!みたいな態度があってもいいんじゃないかな。ちゃんと振り切れた人は農業とかに転じられるけ
 ど、たぶん、過去の亡霊にひっぱられて、今の生活を維持させたい人もたくさんいるはず。それならば、
 、、ってね。技術開発に賭けるってのは博打かもしんないけど (;・∀・)



  あと、10年後、ぐらいかなぁ。どうなってるだろーね。名古屋は。



 m(_ _)m