meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

デキナイの生存戦略を考えていく。


【 マイプロのときは非通貨交換日本一周の旅に出ているユウとSkypeつないだりしてました 】

  エイプリルフールにマイプロをしてみた。ちょこちょこと人が集まって、ゆるゆると発表を聞く。マイ
 プロをやるといつも思うことだけども、自分の発表が1番、プロジェクトになってない。わかりにくいし、
 おもしろくない。どうしてもみんなの発表と比べてしまって「 ぼかぁ、なにしてんだろーなぁ 」と落
 ち込んでしまう。自分で開催して、勝手に落ち込んでるんだから、どーしよーもない(笑)

  さてさて、マイプロ以外でも激動の年度末・年度はじめになりました。東京に転勤する仲間の送別会の
 居酒屋さんでは可愛い店員さんに打ちのめされ、がけっぷち交流会でMYCAFEに行き、お世話になっ
 た記者さんの送別会にも行ってぐるぐる考えてきました。年末年始よりも、今までの自分を見直す機会が
 多かった。「 これからどうするの? 」って言葉もたくさんいただきました。気にしてもらえてるのは
 すんごいありがたいことだなぁ、と思います。
  そんなこんなで、マイプロで発表したのは「 生存戦略 」(笑)。当日の朝、資料をつくっているっ
 ていうギリギリっぷりで、ネタもあわせてこれでいいや!って名づけてしまった感じです。でも、わりと
 気に入ってたりします。しっくりくる、というか。僕みたいな、デキナイ人がどうやって生き残っていく
 か。そういうことを考えていきたいなぁ、とか思うわけです。

  デキルが交換される時代だなぁ、と感じています。何がデキルかを問われます。求人情報には「 パソ
 コンが使える人 」とか「 コミュニケーション能力の高い人 」とか「 仲間と楽しく働ける人 」と
 か、そんな要件が並んでいます。こういうのを見るにつけ「 ああ、僕ではないなぁ 」と思ってパソコ
 ンを閉じてしまう。デキル!が求められていて、デキナイは要らないようです。どこかに「 コミュニケ
 ーションが不得意な方 」とか「 独りで作業していられない方 」っていう求人要件はないのかなぁ、
 なんて、思ったりもしています。求人ってのは、その会社だけではデキなくて困ってるから出すもののは
 ずなのに、何かと高い位置から求めてくる感触がありますね。
  当たり前のことですが、デキル人というのは、デキナイ人に支えられて成り立っています。例えば陸上
 の試合にしたって、勝つ人は負ける人がいるからこそ勝てるわけです。パレートの法則では、2割の人が
 8割を稼ぎ出し、残りの8割が2割を稼ぐといっています。僕はこれを8割のデキナイ人が2割のデキル
 人を支えていると見ています。デキナイはデキナイなりに価値があるんじゃないか。そんなことを考えて
 しまうのです。
  デキル人の中の1部には、それを「 自分の能力によるものだ 」と考えて、傲慢になっていく人もい
 ます。僕はそれがとっても嫌いです。僕はデキるんだ!だから、僕は偉いんだ!、と考えてもらっても構
 わないんですが、ちょっとはその周りに蹴散らされている人のことを見つめてもいいんじゃないでしょう
 か。極端な例ですが、ある一定の割合で必ずかかってしまう病気があります。それにかからなかった人と
 いうのは、病気にかかった人に生かされている、と考えられないこともないです。運も能力のうちと言わ
 れればそれまでかもしれませんが。
  僕は「 能力 」ってものの7割ぐらいは関係依存だと考えています。例えば、AさんがBさんに能力
 を発揮するとします。その能力の3割はAさん個人の中にある。あとの7割はAさんとBさんの関係にあ
 る。誰か個人の能力は、置かれる環境や周囲の人との関係によって大きく変わってくるのではないかと思
 っているのです。モンスターペアレント相手では、どんな優秀な教師でも能力を発揮できないな、とか。
  だから、どんだけデキル人でも、周囲の「 支え 」なしでは成り立たないもんでしょう。それらを鑑
 みずに「 私個人の努力で成し遂げたことだ 」って言う人がいたとしたら、、、とりあえず僕は一目散
 に逃げ出しますね(笑) 同じ文脈で「 努力が足りない! 」とか言う人も苦手です。おそらく足りて
 ないとすれば、私も相手も環境も含めて全てに責がある。特定の誰かを責めてしまうのは、そこに押し付
 けてしまいたいからかもしれないのです。

  デキナイことにも価値はあるんです。たぶん。胸をはって「 できない!!! 」って言われても困る
 んですが、( って、僕がいっつも言ってる言葉でもあるんですが(;・∀・) )もし「 僕はどうして
 できないんだろう。。。 」とかって落ち込んでる人がいるとしたら、そのデキナイは大切だから、もっ
 と認めてあげてもいいんじゃないかなぁ、って思います。逆に、デキル人、何かを成した人、達成した人
 は、それを誇りに思ってもいいんだけれども、その周囲にいるデキナイ人、成せなかった人、未達の人に
 支えられているんじゃないか、と自分の脳力に疑念を持って欲しいのです。

  デキルことへの憧れを持ちながら、やっぱりデキナイ。そんな健気なデキナイがちゃんと生き残れるよ
 うな世の中であって欲しいなぁ、と思っています。自分の生存戦略上では、「 デキル 」と言ってしま
 った方が楽です。早く「 これ、デキます! 」と言ってしまいたい気持ちがないではありません。
  にも関わらず、そこでデキナイと言い続け、求められたことを淡々とやり続けていく。デキル人間にな
 らずに生きていくというのは、たぶん、相当に不毛で、困難な生き方なんだろうなぁ、と思いつつ、それ
 に行き着いてしまった自分の仕方なさを受け止めようか、受け止めまいか。全くもって、悩んでばかりで
 す。
 

 m(_ _)m

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