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meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

終わりの感覚


【 引越後の「 教室 」 】

  何かこの1週間に起こった出来事が多すぎて、整理がつかないままでいる。お世話になった小学校を去
 ったのは4月2日だから、もう随分前のことだ。ステージの変わり目には、コトが一気に起こる。そのせ
 いで、時間感覚がおかしい。頭がぐるぐるする。(;・∀・)

  小学校の廃校を利用したNPOコミュニティビジネスのインキュベーション施設が3月末で閉鎖にな
 った。6年間続いてきたこの場所に、僕も最後の2年と半年ぐらいお世話になった。居ついてしまって、
 根付いてしまって。本当にこの場所がなくなるのか、信じられなかった。うちの事務所が引越しできるの
 かもわからないままだったが、やっぱり時間は過ぎていって、気がついたら引越しも終わっていた。



  初めてその小学校に行ったときは、まだジャケットに革靴姿だったと思う。正直「 こんなとこに来ち
 まったか・・・ 」と感じていた。まさか廃校に通勤するようになるなんて、予想外もいいとこだったの
 だ。こう見えても、一応、IT系のベンチャー企業出身である(笑)いちおうねw
  程なくして、その考えは一変する。「 小学校だった 」という場所の魅力に気づき始める。以前の会
 社に渦巻いていた雰囲気とは違った感覚、その場への愛着みたいなものを感じるようになった。人の思い
 出がたくさん積み重なった場所の醸し出す親しみやすさ、って言ったらいいだろうか。ともかくも、そこ
 はないがしろにされてなかった。誰かがきちんと生きてきた場所で、だから、これからもきちんと経験し
 ていくべきっていう前提があった気がする。

  僕たちが場所を認めないと、場所も僕たちを認めてくれない。人と人がコミュニケーションをしてるよ
 うに、場所も人とコミュニケーションをしてる。誰かが大切にした場所は、そこに訪れる他の誰かも大切
 にする。場所を単なる機能的空間とみなしてしまったり、ないがしろにしてしまったり、支配的に扱って
 しまったりするのは、たぶん、そんなにイイコトじゃない。ケースバイケースだろうけど、怒りや苦痛、
 侮蔑や憎悪が滲み込むと、新たにそこに来る人にも影響を与えていく。前の着色を消し去って、新しく塗
 り直すのは簡単なことじゃない。
  小学校での経験は、そんな妄想じみたことを考えさせてくれし、信じさせてくれた。歴史社会的につく
 られてきたものが私たちをつくっている一方で、私たちが歴史社会をつくっている。そういう相互に乗り
 入れた関係を、人と場所も持っている。と、僕は思っている。

  だからってわけでもないけど、この施設が閉鎖になるのは、勿体無いし、淋しい。できれば人が出入り
 するような活用を考えて欲しいんだけども、どうもそうでもないらしいという噂だ。(´・ω・`)



  1つの場所が終わっていった。静まりかえった校舎の中には、誰もいない。人のいない場所は、生気を
 うしなっていくんだろうなぁ。まぁ、でも、終わりが悪いわけじゃない。個人的には「 終わり 」は好
 きだ。いつも終わるときには、清濁合わせ飲んで、感謝できる。起こったこと全てに対して、よかったな、
 と肯定できるチャンスをくれる。不死の方が不自然だ。

  また新しいコトが始まる。新しい場所にうつって、またその上で、きちんと経験していく。その繰り返
 しだ。その場その場で、ちゃんと考えてたらいつかどうにかなるだろうw どうにもならんでも、やるこ
 とはそんなにない。ただ淡々と生きてみるぐらいのことしかできんしな。ヽ(´ー`)ノ



 m(_ _)m

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