meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

Room-1984が終わりました。

 引っ越しました。名古屋市中川区から、北区へ。引越し前の数週間は本当に引っ越せるのか不安で仕方がなかったのですが、素晴らしく手際のよい友達の助けを借りて、なんとか引越すことができました。今日で新居に来て6日ぐらいです。まだまだ慣れません。ようやく落ち着いて、ニコニコ動画を楽しめるようになってきたかなぁ、ってところです(笑)
 濁流に飲み込まれたように4月が過ぎていきました。気がつけばどこへやら。変化が激しすぎて頭も体も時差ボケしてるみたいです。曜日の感覚もありませんでした。所属も住所も切り替わりました。4月の初めに「 4月30日をもって、職と住を失います! 」ってネタにしていたのが懐かしいです。たくさんのたくさんの友人に助けてもらって、今、何とか生きています。ほんとに、友達がいなかったら僕はどうなっていたんでしょう。。。(;・∀・) 

 さてさて、Room-1984が終わりました。引越しってのは一方で死んでいく場所を看取り、もう一方で場所の息を吹き返していくものです。そのギャップにアテられてしまいます。ついつい、新しい場所の明るさに目が眩んで、ちゃんと看取れないことが多いんではないかな、とか思います。とはいえ、死を悼んだところで、何が起こるわけでもない。ノスタルジーに浸るだけで、それはとても自己満足みたいなもんです。自己満足に意味はあるのか。そう考えつつも、パソコンに向かってしまうのは、うーん、なぜか書きたいからですね。その「 なぜか 」が大切なような気もしないではなくはないです。
 というわけで、今さらながら振り返ってみて思うことを書いてみようと思います。

 Room-1984とは何だったのでしょうか?この問いに関しては個人面と社会面から考えることができますが、どうにも僕は自身のことに無頓着なので個人面でどうだったのか考える頭を持ちあわせておりません。とはいえ、社会に何かの影響を及ぼしたのだろうけども、そんなに大きな力があったもんでもないと思います。言ってしまえば単なるルームシェアでした。それ以上ではなく、それ以下でもない。ビオトープの1つです。たくさんの場が生態系をなすのだとすれば、その中の単なる1つになれたのではないでしょうか?

 シェアに関連する状況はここ2年の間に大きく変わったように感じています。Room-1984を始める半年前、2010年の春から「 シェアしよう 」と言いまくっていましたが、名古屋での反応は芳しくありませんでした。今思うと、よくもちさんが話に乗ってくれたもんです。それが一変、今では、各方面からシェアを始めたよって話がちらちら舞い込んで来るようになりました。SUBWAYで隣の席から「 シェアするんっすよ〜 」みたいな話が聞こえてきたときには、さすがにヒキました。少しずつ当たり前になってきてるのはいいことなんじゃないかなぁ、と思います。ビオトープはそこらじゅうにあって、全体として生態系をつくるもんです。トクベツな場をつくるような質的アプローチじゃない。たくさんあればいい。量的なアプローチなんだと思います。
 そのためには、って意図をしていたわけじゃありませんが、シェアは普通だった方がいいです。シェアだから、つながろう!とか、一緒に暮らそ!とか、気持ち悪くて仕方ありません(笑) 実家に帰ってみてください。家には家族がいると思います。両親とかがいて、台所とか、お風呂とかを共有してるはずです。それは特にコミュニケーションがなくても成り立ちます。仲が悪いと居づらくなりますが、仲良しじゃなくても一緒に住めるはずです。共用分があるから、暮らしは豊かで合理的です。むしろ、アパートでの1人暮らしが異常なんです。なぜ切り分けられたハチの巣1つ1つに、台所やお風呂やテレビやその他もろもろがなくてはならないのか?そんなことを考えていくと、高度経済成長、消費時代の遺物にしか見えなくなって来ませんか?
 そんな消費モデルにのりたかねぇから、普通にシェアする。その事例だった面もあるかもしれません。

 途中で住民が増えた時期もありました。3ヶ月程度だけ襖1枚隔てて( って言っても常時あいてましたが )女性が住むという事態になりました。これもシェアの役割の1つだったと思います。多様な生き方を創っていかなきゃならない状況で、住む場所がなくなってしまう人が出てくるはずです。おもしろいのに、保証もなくて、住所がなくなる。しかも、長く住めない。その部分で緩衝材になるのもシェアの役割の1つではないでしょうか。いわゆるノマドを余白に受け入れる。そんな余裕があるのも、シェアならではです。部屋数とか、ひとり暮らしに比べると段違いに多いですしw
 そしてこれは、間借りとか、下宿とか言われていたものに近いです。いつからか、いつの間にかわかりませんが「 家には家族のみが住むもの 」って概念ができてきたように思います。これもまた考えてみれば不思議なもので、1家族に1つ家がある必要はないわけで、家族以外の人を受け入れるのもアリでしょう。下女と呼ばれた召使い( 今で言うメイドさん? )や、下宿人、書生などなど、どこかの家に間借りしていた人たちの居場所がなくなってきた。それはそういう生き方の否定でもあったんだろうなぁ、とか思います。
 今は違います。その生き方の可能性に賭けていかなきゃならない。間借りや流れ者に場所をつくるのも一興と、若者シェアなら受け入れられるはず。Room-1984でも一時期、そんな役を担ったのかもしれません。多様な生き方のクッションになる場も、多ければ多いほどいいなぁと思います。

 って、気がつけば僕も間借り人でしたw
 おもしろがって受け入れてくれている友人にはかんしゃーヽ(´ー`)ノ



 名古屋に打った布石は、僕とは関係のないところで広がって、ネットワークのカケラになることができました。場はなくなりますが、つながりは残って、また場を生むんでしょう。それが何を起こすわけでもなく、それらの連なりがプラットフォームになったり、セーフティネットになったり、コミュニティになったりしながら、ただ在り続ける。それでいいんだと思います。なんとなく、その辺はもちさんにお任せですヽ(´ー`)ノ こんなのと一緒に住んでくれたもちさんにも感謝感謝である。
 で、最後はやっぱりヴィシナスさんの言葉を引用して、終わっておきます。住むって行為にはこだわりたいのです。

 『住まい』という現象は、たとえ我々が何年も前にそこを立ち去ったとしても、そこに支配され、そこ
 から生活の仕方がさし示され方向づけられるような、抗し難いほど大きくて他に代え難いものである。
                                    (V.Vycinas)

 m(_ _)m

場所の現象学―没場所性を越えて (ちくま学芸文庫)

場所の現象学―没場所性を越えて (ちくま学芸文庫)