meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

DAYS JAPAN の写真展に行ってきた。


  写真を見てきた。見てきて、すごくもやもやしている。一体全体、あの写真群は何だったんだろうか?
 消化不良、、、ではなく、なにか不満に似た感情なのだと思う。報道写真、フォトジャーナリズム。どち
 らの言葉にも通じているわけじゃない。だから、ちょいっと見た僕がなにかに言うのもおかしな話なのだ
 ろうけども、少し、書きたい。

  見に行ったのは「DAYS JAPAN フォトジャーナリズム写真展 in 名古屋」だ。会場は思ったよりこじん
 まりとしていて、作品数は50もないぐらいだったと思う。震災の写真にはじまり、リビアギリシャ
 ど世界各地の紛争・闘争・悲劇の写真が並んでいた。いわゆる報道写真といえばいいのだろうか?それぞ
 れの写真は被災者、避難民、難民、軍隊、暴動などの様子を描いている。人によっては、目をそむけたい
 ような写真もあるんじゃなかろうか。
  ただ、僕の場合、はじめの10枚を見ないうちに違和感をおぼえた。一緒に行ってくれた子に( よく
 ぞこんな偏屈と一緒に見てくれたものだw )こんなコトを聞いてしまった。「 こういう写真を見て、
 支援しなきゃ!とか思うの? 」答えは、う〜ん、といった様子。いきなり変なことを聞いてしまったな
 ぁ、と感じつつ、腑に落ちない顔で写真を見続けた。

  簡単に言ってしまえば、写真がキレイ過ぎるのだった。アート作品にしか見えなかった。登場人物に共
 感しようとしてみても、自分を投影しようとしてみても、どうにもうまくいかなかった。構図がキレイ過
 ぎる。ピントが決まり過ぎている。被写体となったシーンに意識が向かず、その写真の絵としての美しさ
 に焦点が合ってしまう。自宅の玄関に飾りたいな、とか感じてしまう。これはどういうことだ?悲劇を美
 しく描く、その行為にどういう意味があるんだろうか。。。などと考えてしまった。
  一番揺さぶられたのは新聞社の写真で、ある意味でブレたものだった。それも文章のキャプションがつ
 いてやっと、ウッ、となるものだった。

  僕が血も涙もない冷めた頭で見たからだ、と言ってしまえば話は早いのだろう。話はたぶん、そんなに
 単純ではない。フォトジャーナリストと呼ばれる人たちが、どういう姿勢で写真を撮り、どういう考えで
 写真を発表しているかに大きく依存している。これを読み取るにはリテラシーが必要だろう。そうだ、僕
 の「 読み方 」が間違っているのだと思った。だから冒頭の写真、DAYS JAPANの最新号を買ったのだ。
 特集が「いま問われる写真の力」で、写真のリテラシーと題した記事もあった。
  結果から言うと、大きくは期待はずれの特集内容だった。まぁ、もともとコチラの期待の方向性が間違
 ってるので仕方がない。写真のリテラシーと題された記事の大半はピューリッツァー賞など報道写真に関
 するコンテストの裏に流れる政治(もしくは商業)の話が大半だった。
  そんで内容はともかく、冒頭写真に撮った見開きのレイアウトはほんとに制作者の意図を疑ってしまい
 そうになった。血を流し、倒れる人の只中に立つ少女の写真の左下に撮影者が受賞して両手を挙げて喜ん
 でいる写真を掲載する無粋さ。文章の中で撮影者は撮影時のことを思い出すのもつらく、もうその写真を
 見たくないとまで書いているのに、なぜこんな見開きにしたのだろうか。それこそリテラシーを問われる
 べきじゃないんだろうか?

  いやいや、そこも僕の見方に誤りがあると思うべきかもしれない。ここからはヒドイ意見になってしま
 うんだけど、1人の個人的意見として、書いておきたい。
  つまりは、このレイアウトの構図こそ、フォトジャーナリストの葛藤をあらわしているんじゃないか、
 ってことだ。特集の2つ目の記事は「ベトナム戦争報道の原点から学ぶ」である。この中にヒントがあっ
 た。みもふたもない言い方だけども、カメラマンにとって戦場は絶好チャンスであり、最もおもしろい現
 場であった、というのだ。人道的かどうかは、この際、少し横に置いて考えなくてはならないと思う。で
 も、わかる。カメラが好きな1人の人間として、その意見には共感できるのである。
  撮るからには美しいものを撮りたい。もしくは、自分の満足のいくものを撮りたい。それは欲であって
 シャッターを切る原動力みたいなもんだ。カメラマンってのは、そーいう人種なんだと思う。なので、僕
 の妄想でしかないんだけど、たぶん、フォトジャーナリストは困難を伝え、問題を解決に導くソーシャル
 な願いと、自分の作品をキレイに、美しく、満足のいくように仕上げたいアートな願いがごちゃまぜにな
 ってるんじゃなかろうか。
  この2つの願望は背反ではない。但し、人の良心の中で葛藤を引き起こす。イイものは葛藤の中でしか
 生まれない、って言えば言い過ぎだ。そんでも、たぶん迷いを自覚してないわけではないだろう。悲劇を
 美しく映すことの意味。ジャーナリストの正義感とアーティストの欲望。うん、それならわかる。展示作
 品がアートにしか見えなかったのも、半分ぐらいは腑に落ちる。



  さて、この考え方が正しいとすると1つ気になることがある。アートとソーシャルは本質的に異なるか
 もしれないってことだ。随分前からアートとソーシャルの親和性を信じていた部分があるので、ちょっと
 気にかかる。これはどう考えていくのがいいんだろうか?う〜ん、整理がつかない(;・∀・)

  まぁ、なんにせよ、刺激が多かった写真展だった。今回書いたことは、完全に僕自身の意見である。写
 真の見方は人それぞれだ。この感想は読んでいる方にとって1つの「 他者の意見 」。気になった人は
 実際に行ってみて、個々人の感性で写真と向き合っていただければいいと思う。写真を見て感じることは
 何かあるだろうし、何も感じなければそこを出発点に考えればいい。そうゆう展示なのだと思う。



m(_ _)m

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