meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

6-dim 名古屋ライブに行ってきた。


【 ライブ会場の磯笛。店員さんがおもろかったw 】

  とある人から誘われて、6-dimの名古屋ライブに行ってきました。と言っても何が何だかわかりません
 ねw まずは6-dimの説明からしないといけないわけですが、現在珍しく酒酔い中なのでまともな文章に
 ならないかもしれません。あしからず m(_ _)m

  さて、6-dimですね。僕も何だかよくわからないまま見に行きました。何となく即興演劇(インプロビ
 ゼーション)をやっていることと、コメディらしいということだけ知っておりました。インプロというと
 あれですね。何も準備せず、いきなりその場に出て演じるという無茶ぶりなアレです。方法はいろいろあ
 りますが、登場人物の関係性をその場で設定されたり、場面をその場で設定されたりして、その設定から
 「 よーい、ドン! 」で物語をはじめていきます。いざスタートとなったら、終わるまで何かをしなき
 ゃいけません。何せ演劇ですからw 何から何まで、っていうほど100%ではありませんが、ほとんど
 をその場でつくりあげていく。その感覚が、ギリギリ感が、楽しかったりすんだろうなぁ、と思います。
  ただ、もうひとつ付け加えておかないといけません。今回行った6-dimのライブは、コメディだという
 ことです。エンターテイメントです。なので、観客を笑わせなくてはなりません。もしくは、きちんと楽
 しませなくてはなりません。即興のくせに、クオリティはしっかりしていないといけない。僕はインプロ
 のワークショップには何回か参加したことがあります。けども、その講演には行ったことがない。人に見
 せるための、もしくは、人を楽しませるためのインプロを見るのはこれが初めてでした。

  行ってみて、正直、笑い疲れましたw これはスゴイ!と素直に思えました。感服です。会場は伏見あ
 たりにある単なる大衆居酒屋。そこに集った観客60人。舞台が設置できるような場所じゃありません。通
 路が舞台です。お客さんがトイレに行くときには演技を止めます、って言われてもwww そんな居酒屋
 の全体を巻き込むように、ぐぐぐっと即興コメディの世界に引き込まれていきました。観客のボルテージ
 も高い高い。どっと笑い、ぐいっと集中する。目の前で繰り広げられていることが、本当に真剣勝負、待
 ったナシのギリギリ一発勝負コメディなだけに、緊張感が違います。ステージの上で、無茶ぶられる。そ
 れを受けて、困ったりしつつも、何とか筋をつなげていく。まさに芸人。そこで出せるのは、人としての
 自分だけなんだと思います。


【 会場はほんとにふつーの居酒屋でした。ステージ中はここが満席に 】

  数々の難局をひょいひょい乗り越えていく、わけじゃありません。ときに詰まりながら、苦しみを出し
 ながら、それを笑いに変えていく。いわゆるメタ発言も結構あります。そんでも、そこがおもしろい。笑
 えるのは、その人の人間味がそこにしっかり出ているからだし、観客も含めたみんながある意味で「 お
 客さん 」ではないからだと思います。たしかにエンターテイメントであるけども、どこか場を支える気
 持ちがなければ笑えないのかもしれないなぁ、と思うのです。この辺は、NPO時代に行っていたイベン
 トや、知多娘のライブとも似た感じがあります。敢えて、完全な商品にしない。即興であるという穴をつ
 くっておいて、そこに人を誘い込むような巧妙なのせ方があるのかもしれません。

  普段からワークショップの真似事みたいなことをやっていたり、いわゆる普通の生き方じゃないような
 ことをしてるもんでか、こーゆー舞台を見るといろいろと気づきが出てきます。そんな難しい顔して見る
 ようなライブじゃないんですけどねw 小難しく考えてしまうのは、まぁ、クセみたいなもんです。
  まずは、ノリと否定です。普通のインプロビゼーションでは「 Yes,and 」が大原則になります。即興
 だから、相手が出したアイデアを否定してしまうと劇が止まっちゃうわけですね。なので、基本的に否定
 はしません。「 それ、いいね! 」を連ねていくのがインプロ、みたいな雰囲気がなきにしもあらずで
 す。ただ、今回はちょっと違う。おそらくクオリティの担保をしないといけない部分もあるもしれないし、
 そうじゃないかもしれないけども、アイデアを全面的に受け入れている様子ではありませんでした。ノル
 ところはもちろんノル。けども、完全否定はないものの、うまいこと「 いなす 」ような場面は多々あ
 ったように思いました。柔道みたいな感じ、って言ったら伝わるんでしょうか? 柔らかく相手に切り返
 す。それすらも笑いに変えていく。前に社会的包摂を達成するには「 もう、アートしかない! 」って
 言葉に感銘を受けたことがありますが、今回は「 もう、笑いしかない! 」って感じですね。ユーモア
 と言ってしまっていいのかは、ちょっと疑問です。印象から言えば、芸人って編集者がいて、その人とな
 りが染み込んだ芸でもって、その場の情報を編集して笑いに昇華させてく感じでしょうか。その編集作業
 の中で、ゆるやかな選別があるのかもしれません。
  書いてて思いましたが、包摂と選別って背反ですよね。その矛盾がなされてるって、どういうことでし
 ょうかね?

  そして、最近『 生命知としての場の論理 』を眺めてたからでしょうか、このステージで起こってる
 ことは「 リアルタイムの創出知 」なのかもなぁ、と。今って、次にどんな状況が起こるかわからない
 世界になっているんだと思っています。日常が即興と言えばいいんでしょうか? 高度経済成長期よりか
 は、先が見えないし、予測しづらい感じになっていると、、、わりと多くの人が思ってるんだろうと考え
 ています。その流れと対比させると、この即興劇をうまく成り立たせる方法論ってのは、今を生きる人の
 生き方に通じるヒントがあるんじゃないかとか、考えたりしてしまうわけです。
  前出、『 生命知としての場の論理 』には、武道の話が出てきます。柳生新陰流は、活人剣。必勝の
 技を持っているのだそうです。必勝というのは、必ず勝つわけです。負けがない。相対して、斬り合った
 ら、必ず相手が倒れている。これは命をかけた真剣勝負の場で、相手がどんな手段で来ても勝つという普
 遍的な知を見出しているってことです。正しさを信じない僕には、あまり馴染まない考え方かもしれませ
 ん。だけど、そんな知などないと否定することもできません。
  舞台を成り立たせる方法論というのは、いわばマジックでいうタネに当たる部分です。そんなもんなか
 なか見えてくるもんじゃありません。今回の収穫は、なにかおもしろそうなものが見つかるかもしれない
 な、と思えたことでしょうか。ダウジングが反応した的な感じです。1回見た程度。まだまだ理解はうす
 っぺらなので、もうちょっと奥を見てみたいなぁ、と思います。名古屋でワークショップをやってもらえ
 るように動くかもしれないので、気になる人は気になっておいてください ヽ(´ー`)ノ
 

  ま、とはいえ虚弱なんで、できる範囲で、ですがw
  あと、お酒のせいかもしれませんが、なんか頭がやたらに回転してますね。ステージの臨場感が高かっ
 たから、自分が即興の場にいるような錯覚を起こしてるのかもしれませんです。



m(_ _)m