meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

才能の壁を感じさせてくれる機会をもっておくこと


【 写真を撮ってても、才能の壁はよく感じるなぁ 】

 どうしようもない程の壁ってのがある。こればっかりはどうにも勝てないと思うしかないような人に会うことがある。でも、ちゃんとそういう経験をすると「おら、ワクワクすっぞ!」って思えるから不思議である。今日はそんな話です。

 つい先月までISIS編集学校のコースを受講してまして、そこで久々に上に書いたようなことを感じました。つまり、どんだけ頑張っても「あ、勝てない」と思える体験です。こういう体験って、わたしはとても大切だと思っています。勝てない、敵わない、実現しない、こりゃお手上げ。そんなことを感じさせてくれる人に会えたかどうかは、なんか、人生の豊かさみたいなものに大きく影響してくる気がするのです。
 傲慢はわたしがもっとも嫌うものです。嫌うものでありながら、わたしに最も近しいものでもあります。普段、名古屋でごろごろと生きながらえているわたしに才能ってナイフを突きつけてくる相手はあんまりいません。まぁ、日常的にそういうナイフを突きつけられてても困りますけども(笑)。だからなのか、ごろごろとしてるトドのようなわたしの自我は肥え太り、いつのまにか傲慢となっていく。そんな様子を想像したくもありませんけども、やはりずば抜けた他者の才能を目の当たりにできない期間が長く続くと、あれ?あれれ?オレ、最強なんじゃない?的な幻想に陥ってしまいます。どう考えても勝てない知性にきちんと触れておくことは、そういう意味でもわたしには必要なのです。
 どーも、最近はその辺が弱かった。弱いとどうなるかというと、オレできるんじゃない? ⇒ みんなより強いんじゃない? ⇒ みんなから学ぶことないんじゃない? ⇒ あれ?オレやっぱりできるんじゃない? という悪循環にはまり込みます。周囲の才能に気づけなくなると、傲慢は加速してしまう。こういう思考には、お灸を据えてやらねばなりますまい。やばい、勝てない、こりゃすごい、というぐらいの高みから、鼻を折ってやるのが一番です。つまり、挫折するのがいいと思ってます。

 ただ、単なる挫折じゃつまらないです。これは自分の心の持ちようか、周りの環境かわかりませんが、ある一定条件が満たされると「おら、ワクワクすっぞ!」状態に入ります。ドラゴンボールで悟空が強い敵に出会ったときのアレですね。普通は逃げ出したくなるところなのに、向かっていきたくなる。それもおもしろそうに向かっていく状態です。
 編集学校のときも何度も投げ出しながら、それでもか、これでもか、とやっておりました。自分でも勝てないし届かないとわかっているのに、まだ足掻いているから不思議です。ワクワクすっぞするためには、そもそも勝てそうな相手じゃダメなので、最初に圧倒的な勝てなさがあります。で、しかも、それは覆らない。覆らないとわかっていて、なお足掻いていて、それがまた楽しいという感覚です。なんか悲劇のヒロイン(?)みたいです。そーやって、悲劇に浸ってるのが好きなのかなぁ、とかも思います。
 で、最終的にも勝てないので、くっそ〜負けたなぁ、とか言いつつ、わりとさっぱりと次はどうするかを考えている。自分の負の部分、不足や欠如を思いっきり突きつけられたくせに、だからこそ、おうよまだやるぜとか、じゃあこっちの方向に転換するぜとか思えるんです。ドM思考ですかね。いや、まぁ、否定はできません(笑)。

 わたしはわりと何でも屋です。数字が苦手なわけでもないし、頭の回転も遅くはない。処理能力も早くはないけど遅くもないぐらいで、整理もできなくはない。そういう人間だからなのか、なかなかいい環境で才能と対峙できなくなってくるようです。(もっと外で活動してたときはそういう機会も多かった気がしていて、そのときのことを思うとやっぱり高い才能に出会うのはほどほどにしとかないと、こっちもしんどくなるかなと思ってみたりみなかったり。。。)なので、放っておくと、中学校時代みたいな天上天下唯我独尊的kimuraができあがり兼ねないのです。実際、中学校時代の友達にそう言われた経験ありますし(笑)。
 今回の編集学校では、きちっと自分の能力を超える課題がたくさんあったし、自分を超える人もたくさんいたので、本気でいい経験をしたなぁ、と思っています。いやぁ、あれはしんどかった(遠い目)。で、そのくせ、また先に進むんですけどね。

One has to be grown-up enough to realize that life is not fair.You just have to do the best you can in the situation you're in.

スティーブン・ホーキングの言葉らしいです。高校生のときだったかに、これと似た言葉を教科書で見つけて、妙に納得しました。陸上部だったからかも。人生は不公平であるということを理解するぐらいには成長しなくてはならない。うん。だからこそ、高い才能に触れておく必要があるんだと思うんです。

 モーツァルトよりサリエリに共感してしまうわたしなのです。



m(_ _)m