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meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

あのとき、僕を自由にしてくれたのはカブだった。

 スーパーカブを手放した。売値はマイナス3000円だった。すでに乗らなくなって久しい。雨ざらしの中、手放せずにずるずると持ち続けてしまっていたのだ。自賠責も切れていてスグに乗ることもできない。そんな状態でも、カブはずっとそばにいてくれた。
 改めて見ると、傷も、サビも多い。タイヤも磨り減っていて、座席はめくれ返っている。だけど、その立ち居には威厳があった。あ、こいつ、まだ生きてる、と感じさせる生命力があった。カブを触った瞬間に、感覚が戻ってきた。こいつはあのときの僕だ。どこまでも走っていたときの僕なのだ。

 スーパーカブを受け継いだのは、たしか2006年の3月ごろのことだった。前年にチャリダーとして北海道を駆け巡った僕は、周囲にたくさんいたライダーに感化されて二輪の免許を取っていた。そんなときに先輩から転がりこんできたのがこのスーパーカブだ。当時は何をするにもカブに乗っていた。バイトに行くのもカブ、彼女の家に行くのもカブ、ネコを病院に連れていくのもカブだった(トランクに入れて運んだら、その後ネコはトランク恐怖症になった)。天気がよければ、気ままにどこかへ出かけた。だいたいリッター45km程度は走った。カブにしてはちょっと微妙な数字だけど、それほど気にすることはない。ガソリン代はいつもワンコイン前後だ。


【2006年 寮の桜がカブを迎えた】

 たまには遠乗りもした。京都〜三重は何度か違うルートで走った。京都からは、広島経由で島根の出雲大社をまわってきたこともあった。夕立にあっても、安い合羽を着て走っていた。天気のいい日の宍道湖沿いの道は、めっちゃくちゃ気持ちがよかった。トランクには20万分の1全国地図。まだスマートフォンがない時代で、分厚いマップルを見ながらだった。看板の見方とか、迷ったときの対処法も自然に身についていった。
 地理学教室の実習旅行にもカブで乗りつけた。金沢に一泊して、富山の氷見まで。道すがら、他のライダーさんに声をかけられた。「カブ、いいね〜 金沢まで行くならちょっと先導してあげようか」って言われてついていった。めっちゃ運転がうまくてついてちょっと死ぬかと思った(笑)。


【2007年 ふらっと行った先で】

 カブに関する思い出には事欠かない。名古屋に来たときも、23号線でトラックに煽られながら。彼女を後ろに載せたいから、トランクを外して、後部座席のシートを買ったこともある。今枝合宿に参加するために岡崎まで走り、名大法学部のプレハブにカブで通って勉強会の企画をした。冬なのにダウンジャケットも着ず、それで寒くないの?と心配されながら、ガクガク震えてバイクに乗る。名古屋に来てからもそんな日々が続いた。NPO業界に入ってからの「のりだー」というあだ名は妙にスーパーカブに馴染むものだった。雨でも風でも、名古屋の道を走った。
 岡山の西粟倉に初めて行ったときもカブだった。ニート時代、カブは僕の機動力を思いっきりあげてくれたのだ。もちろん、知多半島にもカブで行った。三河ナンバーが怖くて、恐る恐る走ったのを覚えている。上前津のmomo事務所、歩道橋の下にカブを置いてミーティングに参加していた。東片端の高速下にものすごい頻度で置いていたのもいい思い出である。
 あのころ、僕はどこまでものんきに走っていくカブだったのだ。

 Roomー1984、尾頭橋に住み始めたときあたりから状況はかわっていく。自宅にカブは置けなくなった。昔、アパートの駐輪場で、バイクを触って火傷をした子どもがいたらしい。規則は規則である。当時勤務先だった本陣に置くようになっていき、徐々に乗車回数が少なくなっていった。何度か手放そうと考えたが、思い出がそれをゆるさなかった。カブは僕にとって、翼みたいなものだった。なくなってしまうと、ここから飛び立てない。ふらっと奈良まで行ってみるか、ってできることが、僕にとってものすごく大切なことだったのだ。そんな状況が徐々に徐々に続き、カブよりも早く、僕が衰えていった。
 もう乗れないな、と感じたのはいつごろだったか覚えていない。いつの間にか自分の体が遠乗りについていかなくなっていた。旅をする時間も、余裕もなくなった。たまに乗ろうとすると、エンジンをかけるまでに結構な時間がかかるようになる。乗られないバイクは、少しずつ乗られる能力を失っていく。申し訳ないなぁ、と感じてはいるものの、どうしたらいいかはわからなかった。お別れする自信がなかったのかもしれない。きちんと送り出したい気持ちも強かったかもしれない。僕は本当に本当にカブに感謝していたし、好きだった。


【2009年 西粟倉で】

 今日、バイクの査定を受けながら、そんな感傷に浸った。査定時間は1時間程度かかる。なるほど、たしかにそれぐらいは時間をかけたいものだと思った。担当の人がバイク好きでよかった。いろんな話を聞いてくれた。やはり、バイクを手放すっていうのは、そういうことなのらしい。泣く人もいるといっていた。僕も見送ってから、少し泣いた。
 ここまで未練たらしく持ってしまったものだ。正直、価格はどうでもよかった(それでもちょっとまけてもらったけどね)。それよりも、この思い出を少しでも引き継いで、供養してくれる人に受け取ってもらったことの方が嬉しかった。

 久々に眺めたスーパーカブはカッコよかった。

 引いていかれるスーパーカブを、見えなくなるまで見送った。

 ありがとう、スーパーカブ太くん(←心の中でこんなテキトウな名前をつけていた。ネーミングセンスのなさがヒドいw)。あなたは僕にとっての自由だった。地を這い続けても、ちゃんと道は遠くまでつながっていると教えてくれる存在だった。素晴らしい燃費のよさと、ちょうどいい速度でいろんな地域を見せてくれた。そして、最後の最後に、僕にあの頃の感覚を思い出させてくれた。
 大丈夫。カブがなくなったからといって、動けなくなったわけじゃない。気の赴くままに、のびのびと、まったりと、ときに飛ばして、雨に濡れて、トラックによろけて、景色をみて、人に出会って、道端で休憩しながら、これからもころがっていきます。

 いい人にわたって、また、どこかですれ違うのを楽しみに。



m(_ _)m

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