meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

3月11日だから、3年目に思うことを書いてみる

 東日本大震災から3年が経った。もう3年、まだ3年。人それぞれ、何らかの特別さをもってこの日を迎えているのだろうと思う。わたしはといえば、初めて黙祷のタイミングを逸した3月11日になった。午前中のランニングを終えて気持よく疲労した体が、気持ちよい午後の昼寝を要求したのだ。くたっと横たわって、3年の瞬間を寝過ごした。それができる程度に、わたしにとっての3月11日は日常になってきたのかもしれない。

 「3月11日だから」ではじまる記事を書くのはこれが3回目になる。そして、毎回書く前に、前年までに書いてきた記事を読みなおしている。我ながら、示唆に富んだことを書いているので、もしよろしければ読んでいただきたい。特に1年目の記事には、まだ生々しい想いがあらわれている。

【1年目の記事】
 >> 3月11日だから例にもれず右にならえで1年前を振り返ってみる。

【2年目の記事】
 >> 3月11日だから、右にならえで何か書いてみる

 さて、あの地震から3年になった。何が変わっただろうか。経済は、政治は、市民活動は、どうなったのだろうか。企業は何をして、NPOは何をしたのだろうか。その中で、自分はどう変わってきたのか。
 個人的には、極端を言えば、復興には興味がない。それはわたしが現地の人間でないからだろう。元通りにすることには、気が向かない。それよりも、何が変わったのかに注目してしまう。制度として変わったこと、マインドとして変わったものがあるハズである。

3・11後、それまでの日常が揺さぶられ、壊された。私たちは、「生きる意味」ではなく、「生きること」のほうが大事だということを思い出した。

(下り坂では後ろ向きに 静かなスポーツのすすめ 丘沢静也)

 2年目の記事で引用した丘沢静也さんの言葉がわたしに響いた。
 1年目の記事で引用したのは山下達郎さんの『蒼氓』であった。「生き続けることの意味、それだけを待ち望んでいたい」と歌う達郎さんに対して、丘沢さんは意味ではなく「生きること」の方が大事だと言った。どちらにしても、そこには「生」についての投げかけがある。その投げかけは、まだ社会に残響しているだろうか。

 今日、たまたまお休みだったわたしは、ふらふらっと古巣に遊びに行った。久しぶりの場所には、これまた本当に久しぶりの人がいた。福島に行きっぱなしだと思っていたので、だいぶ驚いた。たぶん、会ったのは2年ぶりぐらいになる。相変わらずの雰囲気に安心しつつ、いろいろな話を聞いた。
 福島の田舎に住んでいると、飢える気がしない。水もタダで手に入るし、野菜や米はその辺で育てられる。都会に出てくると、お金が切れたら飢えてしまう。そんな話をしながら、これは「暮らし」の問題だったことに思い至った。

 慰霊、鎮魂、記憶を消さない、風化させない。そんな文脈で語られる3月11日。だが、わたしたちの暮らしはどうなっているのだろうか。防災訓練が行き届いていればいい問題ではなかったハズだ。アベノミクスで経済は盛り上がり、東京オリンピックが決まって景気はよさそうだ。増税増税と言ってはいるが、おそらく消費者のマインドは悲観的ではない。賃上げが決まって、さて何に消費をしようか、と意気込んでしまう。はてさて、本当にそれでいいのだろうか。
 未だに原発の問題は残り、除染された土は黒い袋に入れられて、広大な敷地に高々と積まれている。その一方で、わたしは際限なく電気を使い、ガスファンヒーターであたたまっている。津波で流される人びとの映像を見て、わたしは何をしていたのかと悩み、息せき切って寄付やボランティアに走りこんだ人たち。その人たちは、今、なんの疑問もなく働き、生活を営んでいるのではないだろうか。
 避難訓練をつんで自分の命を守る方向には長けたかもしれない。でも、それだけではない、もっと本質的な暮らしの問題に、わたしたちは気づいたのではなかったのか。翻って、今、わたしはどんな暮らしをしているのか。

一方で「 なんと醜い場所だろう 」とも感じてしまう。モノが多い。ひたすらに、モノが多い。人間の生活に波を被せてさらってみたら、こんなにもモノが残ってしまうのか、と思ってしまった。あんまりこういうことを考える奴でもないのだけども、現代生活のモノの多さをまざまざと見せつけられた気がしていた。

ネパールで見た、河川敷のゴミ山とその異臭を思い出す。津波のあとを眺めて、何考えてんだか。。。(´・ω・`)

被災地で感じたこと、感じなかったこと。【 2011東北旅行 】

 2011年の夏に、石巻を見に行ったわたしの素直な感想だ。不謹慎は承知で、思い切って正直に書いた。

 3月11日に思い出すのは、震災があったという事実であってもいいし、そのときの熱狂であったり感情であったり、被災地を想う気持ちでもいい。けれども、もう一度、防災の文脈からだけではなく、わたしたちの生活を揺るがした、暮らしの問題としても捉えてみて欲しい。東日本大震災での気付きは、家に持ち帰られるものでもあるし、職場に持ち帰られるものでもある。
 そしてその学びは、わたしたちの現場に持ち帰ってこそ活きるのだと思う。



m(_ _)m

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