meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

イアマス領家町祭 無意味な儀式の意味と無意味

 東京からイアマス出身の友達が来るというので、その流れに乗って領家町祭に行ってきた。「内輪ノリだよ」という忠告をスルーしたのは、イアマスの校舎がこれで最後だと聞いたからである。この祭りを境に、イアマスは完全にソフトピアジャパンにうつる。なぜか岐阜県大垣にあらわれてしまったメディアアートの一大拠点、イアマス校舎を見る最後のチャンスとなれば、まぁ、行ってみてもいいかと思ったのだ。

 大垣駅を降りて、徒歩15分程度。本当に、何にもないような田舎の住宅街にイアマスの校舎はあった。外から見た感じでは、なんの建物かはよくわからない。奇妙な形をしているわけでもないので、普通の学校のようにも思える。芝生があるから、見ようによってはちょっとぐらいオシャレにうつるのかもしれない。
 領家町祭は、今までお世話になった領家町への感謝を込めての祭りである、と友達から聞いたような気がしていたから、きっと地域の人たちとかも集まってワイワイやってるんだろう的予想をしていたら、集まっているのはイアマスの卒業生と近所のガキンチョどもであった。昔、卒展に行ったときにも書いた気がするけど、本当にこの学校は地域との連携が弱いなと思う。いや、まぁ、メディアアートがわかりにくいせいってのもあるんだろうけど、もっと、こう、なんとかなるんじゃないか、と外から来た一見さんは感じてしまうのであって、それは中身あんまり知らないで言ってしまってすんません。m(_ _)m つまり祭りはほとんど同窓会のように思えてしまったのだった。

 しかし、そんな同窓会的祭りであってもメディアアートの拠点である。引っ越しでごちゃごちゃとしたのであろう建物の中に展示があったり、屋外にはパフォーマンスステージができていたりして、それなりに楽しめるコンテンツが用意されていた。こういうコンテンツがつくれてしまうところに芸術系の学校の強さがある。形にして表現できる力があるってのは、正直羨ましい。
 浅はかで申し訳ないのだが、滞在してた時間帯で一番おもしろかったのは散餅の儀であった。いわば、餅まきである。祭だから餅をまくのであって、それはたぶん領家町への感謝であるとかそういうことなんだろうけど、ぶっちゃけた話、儀式とかなんとかそういうのは抜きにして、ただ遊んでいるようにしか見えないような儀式であった。
 まず第一弾は、ラジコンヘリからの餅まきである。なぜラジコンヘリを使ったのかはもちろん不明だ。なんかいろいろと装飾されてて、その上、餅も積んでるからかフラフラと頼りなげに飛行しはじめたヘリは、なかなか餅を落とせずに悪戦苦闘し、最終的には冬の冷たい風に押しやられて餅まき会場とは関係のないところに餅を落とした。そのシュールさといったら半端ではない。会場からは「おぉぉぉ〜」「あぁぁぁ〜」という応援してんだかなんだかわかんない声が上がり、爆笑するわけでもないけどもなんだかおかしくて笑ってしまう感じのどよめきが湧き起こっていた。未だになんだったのか、わからない。


【 餅が落ちた瞬間。ガチャガチャの丸いのにわらび餅が入っていたっぽい 】

 そして、その不明さに混乱する頭に追撃するように第二弾の儀式がはじまる。巫女っぽいコスプレをした、いや、巫女っぽい格好をした女性が出てきたなと見ていたら、それに続いて最後に出てきたのはたぶんワラビーの着ぐるみである。地元の少年と思われるガキンチョが「熊か〜?」とか叫んでいて、もうなんだかカオス。取り出したるはリレーのバトンのような筒。巫女たちとワラビーは筒で頭を叩きはじめて、なにやらリズムを取り始めた。たしかにわりと心地よい音は出ているんだけども、それ頭を叩いて鳴らすものなのだろうかどうかはわからないし、あんまり知ろうとも思わない。どんな規則性なのか知らないが、巫女は動きはじめ、それに合わせてワラビーが観客に向かってわらび餅を投げつけはじめる。いや、それ、角度するどいっすから。普通、餅ほりといえば放物線を描くように投げるもんでしょう、と突っ込みたくなる投げっぷり。良心的な巫女さんはちゃんと下手投げでポーイと投げる。ワラビーはなんだか適当にもさっとつかんで、前列に陣取ったガキンチョめがけて投げつける。ガキンチョはキャイキャイぎゃーぎゃーと投げられた餅と戯れる。なんじゃこりゃ、である。でも、よく考えてみたら、これぞイアマスって感じもしなくもない。


【 たぶんあのワラビーは、知る人ぞ知るわらび餅の人である 】

 要するに無意味である。身も蓋もない話、無意味である。そこには「なぜやるのか?」という問いがあるようでいて、たぶんないんじゃないかと思わせる無意味さがある。それは力強い無意味さである。なんかもうここまでやったら信念感じるかも、ぐらいの勢いがあった。ある意味でそれがアートなのかもしれない。
 雰囲気にくるくる飲まれながらも、わたしはその空間を楽しんでいたし、おもしろがっていた。これほどまでに、言葉が悪いかもしれないが、アホな、バカな、妙な、変なことを笑ってやっている人たちはとてもおもしろい。そもそも芸術や研究なんて、意味や目的に縛られているものではない。そこに山があるから登るのであって、なぜやるのか?なんて愚問の世界なのだ。
 意味や目的、意義や成果といったものを気にしていては、これはできない。冒頭にわたしは地域がどうこうとか書いてしまっていたわけだけども、それを気にしないからこその芸術性でありクリエイティビティなのだ。研究も同じことである。やる前から、それがどうなるのか?それをやることに意味はあるのか?なんて考えられていない。論文を読んで「で?だからなに?」ってなった人は多いハズだ。もともと研究とはそういう性質のものであって、だからこそ最先端を走れるのである。なぜやるのか?なんて二の次で、やって結果をみてから意味を考えることだってよくあることなのだ。
 意味の溢れる世界にあって、目的を要求される日々をおくっていたからか、もうこの儀式が痛快でならなかった。意味があるようでないようでないようであるようで、おもろいからまぁいっか、となれることは、現代においてはそうないのではないか。意味性のなさは効率化という大義名分のもとに追いやられ、生き残った時間には新たに意味を押し着せられる。余りにも堅苦しくて、鬱屈してしまいそうな空気感がある。

 もっと無意味でいいはずなのだ。気の赴くままに動いてみたらいいのだ。
 裏側にアルゴリズムが入っていようがいまいが、そう見えてしまったのだからどうしようもない。わたしには領家町祭自体が、なぜやるのか病へのアンチテーゼに感じられたのであった。(っていうぐらいに散餅の儀のインパクトが強かった、とも言える)



m(_ _)m