meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

生活保護への批判を見て、感じたことをつらつらと。

 2〜3日前に、生活保護についてのニュースにこんなコメントがついているのを見てしまった。曰く、「月に29万円ももらってるなんてあり得ない。わたしはしんどい思いをして働いてるのにそんなに貰えない。ふざけるな!」とかとか。その気持ちはわからんでもないのだけれど、こういう意見にはなんだか違和感をもってしまう。
 この場合、「そんなにしんどいなら辞めれば?」的な返しもあろうが、それだと水のかけあいになってしまう。むしろ、辞められない理由、そのさらに奥にある、労働観を読んでいかねばならんのだろう。違和感のもとはたぶんそこにあるのだ。

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 最近、なんだか「消費のため」に働く人が多いような気がして気持ちが悪くなることがある。いや、豪邸に住み、和牛ステーキを喰らい、高級外車に乗ることを夢見るのは別にかまわないし、そういう人はけっこう好きだったりもする。そうではなくて。なにやらモノを買って、家族を養って、娯楽を享受して、そういうことのために働いている割合が大き過ぎやしないか、と思っているのである。否定はしないんだけども、これがなんだか気持ち悪い。
 つまりは、「消費が快楽であり、労働は苦である」という図式があって、それにのっとり過ぎているような気がしているのである。この場合、労働は苦でしかなく、その苦の代償として賃金をもらっていることになる。わたしはわたし自身を差し出した。だから消費できるのだ。なぜ、あなたはあなたを削らずに保護費という名目でお金を得ているのだ。上記の批判はこういう論理に基づいて書かれたのだろう。
 うーん、わたし自身がその図式に寄ってしまったからこんなことを書いているのかもしれないな。(;・∀・)

 もし、労働は苦である、という論理に基づいて批判されたのであれば、その方の労働は苦にならざるを得ない。労働における快楽を認めてしまえば、批判は成立しない。なので、この批判は自分自身で自分の労働を苦しいものと決めつけてしまうことになりかねない。これはあまりよろしくないことだと思う。仕事がしんどいのはわかるけども、そればかりを盾にして攻撃しようとするが故に、自分を諸刃の剣構造の中へ入れ込んでしまわれた。これに気付いていないのであれば、やはり残念だなと思う。

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 ちなみに、生活保護の方を襲う苦痛は「お金のなさ」ではないとわたしは考えている。むしろ社会との断絶であったり、将来の不安であったり、自己肯定感のなさであったり、世間の目なのだろう。真面目な方であれば、働こうとし、だけども働けない理由があるから、生活保護にならざるを得ない。自分の情けなさに因われてしまっているかもしれない。
 実は既存の価値観、経済的な価値に身を置いている限り、この情けなさ、自己肯定感の低さからは逃れられない。生活保護の人であれ、ニートであれ、これは同じだと思う。経済的にマイナス価値しか生まない(と思わされる)ことは、精神や身体に思いっきり響く。いくら図太い神経をしていたとしても、経済の世界に生きている限り、この影響はまぬがれない。反応が凹みにでるか、凸にでるかの違いぐらいではないだろうか。
 本気のニート、平然としていられるニートは意志を持った逸脱者であり、だからこそ、社会起業家的な文脈と親和性をもつのだとか考えている。うん、これは脱線した話。今は生活保護への批判の仕方に見える労働観について書いているのだった。

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 話を戻そう。

 「労働は苦である」という図式にのってしまっている点だけがわたしの違和感ではなかった。たぶん、この種の批判を引き起こしてしまう背景には「働くから働く」というなんとも自己目的化的な、再生産的な、循環的な動機が薄れてしまっている面があるような気がするのだ。
 「働くから働く」というのは、会社の理念のためでもなく、自己実現のためでもなく、給料のためでもなく、習慣的に行なっているものとして、前提を疑わずに働くような態度のことだ。別にモチベーションもないけど、まぁ、働くんでしょ、働きましょう、ぐらいのテンションで動く。特別な達成感を望むわけでもなく、権力を欲しがるわけでもない考え方である。
 労働を殊更イイコトに仕立てあげずに、とはいえ苦役ともせずにおくには、こういう考え方も必要だと思っている。そして、イケテル自己実現系な考え方になじまない人は、既にこういう考え方で働いてたりもする。それでいいのだ。(バカボンパパ的に)

 働くから働いているのであって、周りの人が高い給料もらおうが気にしない。それぐらいの気概があってもいいのだと思うし、実際そうやって働いている人は多い。
 そして、もちろんのことだけども、こういう考え方は、消費のためだったり、理念に向かってだったり、実現したい夢を見ながらだったり、そいういった動機とも混ぜ合わされるもんでもある。100%、ただ働くから働くんだ、というマゾヒスティックな姿勢じゃなくていい。でも、どこかで「働くから働く」的な考え方もあるのだと明示しておかないと、シンプルな自己実現論や消費のため論に引きずり込まれてしまう。

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 労働って、人生の3分の2とかを使うようなものなんでしょう。であれば、そんなに自分の労働をおとしめちゃいけない気がするのだ。感情に流されて、誰かが言ってるようなシンプルなわかりやすい構造に逃げるのももったいないのではないかい、と、僕は思うのだ。



 あと、最後に言っておく。「生活保護で月29万円」って調べてみたらけっこう昔のニュースじゃねぇか。(;・∀・) なんで今更Facebookのフィードに出てくるのか。。。(コメントとかいいね!されたからだと思うけど)記事書いちゃったじゃん。やーねー、もぉ。



m(_ _)m

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