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meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

俺式アマチュア論


【 これは失敗した写真。なにを撮ろうとしたのだろうか(笑) 】

 土曜日に撮影のボランティアに行ってから、ちょっとした自己嫌悪にかかっています。どうしてそんなことになってしまったかというと、自分の振る舞いとか考え方とか姿勢といったものが、どうもプロ気取りだったからです。それがまったく気に食わない。お前、アマチュアだろうと。アマチュア根性はどこに行ったんだと、そう言いたいわけです。
 アマチュアにはアマチュアの矜持があります。そして、わたしはこういうボランティアをするときの、そのアマチュアらしさが大好きだったりするのです。

◎。。。...


 土曜日の撮影は、いわばライブ撮影でした。ステージで歌ったり踊ったりするのを撮るという、撮影のボランティアとしてはかなり難易度の高いものです。ライブでは、室内は暗い、照明は変わる、ストロボは使えない、動きは速い、と、難条件が揃います。それはその分、こちらが工夫をしないと撮れないということでもあって、一番楽しい撮影でもあります。はい、Mですね。(;・∀・)
 わたしはだいたい毎年あるこのライブを5年ほど前から撮ってきています。たしか、最初に撮ったときは、1台めの一眼レフ、Pentax K-200D にキットレンズの 18-55mm をつけていました。今考えると無謀にも程がある装備です。これで臨んで、試行錯誤して、それでも撮れなくて、何度も悔しい思いをしてきました。当時はISO感度1600が最大値でした。
 こういう現場があるから、どうやったらうまく撮れるかをずっと考えるようになります。Pentax を好きな理由は「使いにくさ」にあると書いたように、難しい現場は上達のもとになります。レンズを揃え、本体を買い、試して、、、ってなんかカメラメーカーの戦略にはまってるみたいですね(笑)。って、それは置いといて。腕を試させてもらえる場がある、というのはとてもありがたいことです。
 わたしも必死になって撮りました。カメラがフリーズして激あせったり、撮りすぎて選定に1週間ぐらいかかったり、それはもういろいろと鍛えられました。ライブ中は戦場で、その中で必死になって最高品質を求めました。これはわたしがアマチュアだったからです。

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 では、土曜日のボランティアでのわたしがどう「プロ気取り」だったのかというと、その場その場で妙に大人びた判断をしてしまった、という点に尽きます。何年も撮ってきていた慣れもあったし、午前中の会場設営からいられなかったことも影響はしました。しかし、にしても、それでもなんでも、あまりに判断がおもしろくなさ過ぎた。ホワイトバランスシャッタースピード、絞り、感度、構図、それらがまったく「いつも通り」になっている。もっとよくしようと設定いじり出して、シャッターチャンス逃すという本末転倒がない。だいたいこの位置からなら、この程度の写真だろうとたかをくくってしまう。つまり、リスクを取った遊びができていませんでした。
 それでもまずまずいい写真は撮れるし、期待されているだけの成果はあっただろうとは思っています。そこを低く見積もるつもりはありません。むしろ質を低めて質をとりにいくような振る舞いになっていなかったことが悔やまれるのです。そこがアマチュア根性のなさなのです。バカじゃない、賢しらな自分が嫌になることって、たまにありますよね。それです。アマチュアの本領は無謀なバカさでしょう。

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 自分に素直になって、最高のクオリティを求められるのがアマチュアの立場だと思っています。プロでこれをやれる人は少ないのではないでしょうか。代価がないから、気兼ねなく枠を飛び越えられる。自分で課題を設定して、勝手にそれに向かい合えます。いいものを撮ろう、いい成果を出そうと自分で勝手に設定すれば、そこに向かって必死になれます。その経験が代価だとするならば、当然、経験を濃くしようと動くはずです。
 わたしの場合、このボランティアではプロよりいい写真を目指します。なにこれ、っていうぐらいの質を出そうとします。ステージに立つ人が10人いれば、10人それぞれのいい表情を撮ろうと粘ります。そんなことできるはずもないのに、そっちに向かう。夏の夜中にやたらと街灯にぶつかっていく虫みたいなもんです。(あ、そういえば、このボランティアで「こういう写真を撮って欲しい」って言われたこと、ほとんどないですね。ほんとに勝手に撮らせてもらってます。ありがたや〜)
 これぞアマチュア根性です。アマだからって舐めてんじゃねぇ!って意気込みなのです。もっと言うと、代価があるから価値を出すっていう構造への反感なのです。どうあろうと、自分は自分で最高の価値を出す。勝手に成果を出す。とても自己満足的で、でも、ロックな精神がそこにはあるわけです。アマチュアであるからには、プロの価値を超えなければならない、ぐらいに大口叩いた姿勢の方がおもしろい。アマチュアなんだから。

 こういう頭の悪い勢いでもって突っ込んでいくから、新しい領域が生まれてくるものでしょう。よくわからない根性をもったアマチュアたちが、世の中をつくっていくのではないかと、わたしは思っています。撮影してきたライブだってそうです。ステージに上がっている人たちはボランティアですが、それぞれが思いっ切りクオリティを出そうとしています。そして、確実に、ステージの品質は上がってきています。代価という基準がない分、妥協するかどうかも自分次第です。それがアマチュアの厳しさでもあり、だから打算なく、バカみたいに最高点を目指していけるのです。
 これはつまり、愛すべきバカです。慣れに甘んじず、高性能な機材で満足せず、わたしもさらにバカにならなければなりません。アマチュアになれる場所と、アマチュアでいられる現場があることに感謝して、突っ込む姿勢を持たなければならぬ。そう気持ちを改めさせられる機会でした。

 と、ここで中原淳さんのシリアス・ファンについての文章が思い浮かんだので載せておきます。

 シリアス・ファンとは簡単に言えば、「真面目に物事を楽しむこと」です。これは真剣にスポーツをやったときに味わう楽しみと似ています。たとえば、試合中、けっしてあきらめず必死にボールを追うサッカー少年。はたから見ていると苦しそうにも見えますが、試合の最中に「楽しめばいいや」と必死にボールを追うのをやめてしまえば、真剣にサッカーをすることで得られる達成感を味わうことができません。その楽しさは、「たわむれのサッカー」から得られる楽しさとは質の違うものです。そして、「真面目に取り組む楽しさ」、つまり、シリアス・ファンを体感することで、サッカー少年の技術は上達するそうです。
 一方、「試合に勝ちたい」「いい選手になりたい」というシリアスな意識が強すぎ、「サッカーを楽しむ」というファン(楽しみ)の部分が抜け落ちてしまうと、それはそれで、サッカー少年の技術はなかなか上達しないようです。ミスを恐れて、積極的な動きや創造的なアイディアがなくなってしまうからです。

( 『ダイアローグ 対話する組織』 中原淳 長岡健 )

 今のわたしにとっては、シリアス・ファンが一番楽しいのかもしれません。そして、そんな現場をひとつ、冷めた頭で過ごしてしまったのが、やはり少し、口惜しいところです。




m(_ _)m

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