meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

セオリーを守るからこそ、例外が守られる。

 名古屋に帰ってきました。今日はなにやら勉強会でもやろうということで、このあと18時ぐらいから本陣にまいります。少しずつこういうお話がいただけているのはありがたいことです。この1週間は、さまざまなところに行っては人に会わせていただき、あれやこれやとお話してきました。もう、すっかり、自分が無職だということを忘れてしまうぐらいに楽しみました。(笑)
 さて、戻ってきてここからが change of pace です。1週間以上離れていましたので、もう一度、いつもの自分に戻らなければなりません。いつ起きて、何をしていたか。ニートが休みボケなんてしてられませんからね。(;・∀・)

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 まぁ、そんなことを言いながらも、旅の途中、専らの懸案事項は自分の職についてのことでした。ちらちらと来る大手エージェントからのメールを見つつ、もうこの人、僕とやり取りする気がないんだろうなぁ、などと感じていたりしました。わたしが路線から外れ過ぎているから、仕方がないといえば仕方がない。既定路線に収まらないものには対応が効かなくなるのが大手というものなのかもしれません。
 それがいわば、セオリーなのでしょう。自分の中のセオリー、企業のセオリー、社会のセオリー。大多数がそこに属していて、そこに属さないものを無視してしまう力をもつものです。ときにはある種のパターン化を個人に押しつけてしまうものでもあります。セオリーはマジョリティであり、例外がマイノリティです。
 大手の転職サービスを利用していると、このセオリーに当てはめようとする圧力を感じてしまいます。そんなものは無理だと、エージェントもわたしも、お互いがわかっていながら、なんとか無理くり押し込めようとする力です。これを嫌がっていては、なかなかサービスは受けられません。そういう仕組みだから、仕方がない。そこに自分の文脈をいかにすりあわせるかが課題になってきていて、う〜んやっぱり合わないかな、というのが今の正直な気持ちだったりしています。(;・∀・)

 だからといって、セオリーをつくるのがいけないわけではありません。セオリーは必要です。そうしないとビジネスは成り立たないんじゃないか、っていうぐらいに必要なものです。すべて個別対応で、すべてがいつも新しくて、だから毎日ゼロベースで対応していく。そんなことを続けている企業はさすがにないのではないかな、と思います。既定路線、主要な道路があってこそ、例外の道ができてきます。いくら多様化する時代とはいえ、いくつかのセオリーがないと、基準点を失います。船で言えば、羅針盤とか灯台がなくなっちゃったようなものです。
 まずセオリーは何なのかを考える。そこがあって初めて例外が例外として見えてくる。見えてきてはじめて、例外への対応ができるのではないでしょうか。セオリーをつくっておくこと、セオリーを守ろうとすることは、サービス提供においても、その他のモノゴトにおいてもとっても大切なのだと思うのです。

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 わたし自身が例外的な立場にいながら、セオリーを守るべきだというのは妙だと思われるかもしれません。ただ、上に書いたように、わたしは「セオリーがあって初めてサービスが成り立ち、例外が生まれてくる」という順序で考えています。なので、例外への対応を受けるためにも、例外への対応をするためにも、セオリーが要になります。
 例外的な何かが魅力的だからといって、世の中を例外だらけにしてはいけません。それは単なる無秩序です。混沌とした時期、変態が集まる地域、カオスな人たちがあってもいいけれども、それがメインになると無秩序こそセオリーになってしまいます。制度を守らないことがノーリスクでハイリターンになるのであれば、崩壊的状況は一気に加速します。例外にはロックな精神があったり、スター的存在があったりして、なんだかとっても魅惑的かもしれませんが、全員がそこに突っ走るものではない。みんなが夜の校舎の窓ガラス壊してまわったら大変なことになります。そこは履き違えてはいけません。

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 ただ、セオリーの中にいるときでも、常に例外を視野に入れておく必要はあると思います。セオリーの中にいると例外が見えなくなる現象はわりと厄介です。セオリーの運用は例外を前提としなければならず、例外のなさは排除や無視を引き起こします。1回飲み会幹事でもしたらわかるように、遅刻する人がいるのは当然のこととして会を組み立てるのが大人なのです。でも遅刻ばかりでは進まないので、時間を守ってね、と言っておく必要がありますし、それを守る大多数はありがたい存在でしょう。
 例外対応を許す、寛大で懐の深い、よっしゃよっしゃと認めていく兄貴分がいいセオリーです。そんなセオリーはおそらく、シンプルで力強いものではないか、となんとなーく考えています。

 多様化する時代です。こんなことをぐだぐだ言っても、この多様性を束ねるセオリーなんてあるのかいな、なんて思われる方もいらっしゃるでしょう。実はわたしもその一人です。その一人でありながら、やはり、主要路線を大切にする姿勢、セオリーに見習う姿勢はあった方がいいんじゃないか、という肌感覚をもっています。だから、無意味さを感じつつもふつーの転職活動もしているのです。
 毎回あらわれる個別状況に対して、その度に一から技を編み出して撃破していくスタイルをいかにとらないか。それでありながら、それぞれの個別状況に寄り添った対応をしていけるか。多様だからとあきらめず、セオリーだからと閉じこもらない、そんなことを模索していく姿勢が大切なのではないかなぁ、などと感じる次第なのです。



m(_ _)m