meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

緻密に準備して、本番でぶっ壊す。場づくりってそんなもの


【 中津川で見つけた貝塚ならぬ、栗塚を一枚。 】

 考えてみれば、学校教育ではアドリブって習わないですよね。即興、現場合わせ、辻褄合わせ。そういったものって社会にはあり溢れているのに、そこにはあまり注力しない。ではどうなっているのかというと、計画と遂行をひたすらに求められるような気がします。綿密な計画をつくって、忠実にそれを実行する。確かにそれができればいいし、エクセレントなカンパニーではそうやってPDCAがガンガンまわされているのかもしれません。それができるってのは、うらやましいことです。ただ、そんなことができるのって、恵まれたごく一部の人たちなんです。たぶん。わたしだって、夏休みの宿題計画なんて頓挫前提で立てていたわけです。だとしたら、現場の運用での「合わせ技」みたいな、即興アドリブ的な動きが出せるようになっておく必要もあるんじゃないかと、そんな風に思うわけです。(あ、そういえば、スポーツはそういう合わせ技に富んだものですね)
 ちなみに、この前自宅のトイレ工事に来たおっちゃんたちは非常に現場合わせな技を持っている方々でした。わたしが見ている目の前で塩ビのパイプをバーナーで炙って太さを調整して、便器の穴にスッポリ入るサイズにしたのには驚きました。職人業界では当たり前の技なのかもしれません。でも、素人目にはものすごいことですよね、それって。

 で、なんでこんなことを書き始めたかというと、そろそろわたしも編集学校の準備が大詰めを迎えてきたのでして、なにやら準備をしているのか遊んでいるのかわからない状況になってきているのでした。そこで思い出したのがタイトルに掲げてみた言葉です。「思いっ切り緻密に準備して、それを本番でぶっ壊す」というのを昔、友達から聞いて、なるほどなぁと思っていたのでした。わたしはこれこそアドリブの極意なのではないか、などと考えております。

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 世の中には即興演劇というジャンルもありまして、そこではわりといきなり演じるワークのようなものもあるのですけども、振り返ってみるに、自分のアドリブ力はどうもそういう無茶ぶり、いきなり、出たとこのみで育てられてきたわけではないような気します。では何をしてきたかというと、やっぱり最初は入念な準備なのでしょう。
 おいおい、お前の準備なんて全く入念じゃねぇじゃねぇか、と言われるかもしれませんね。はい、全くその通りでもあって、本気で準備が得意な方に比べるとわたしは準備が苦手で手薄な人間です。計画が苦手で、旅行に行ってもだいたいが行き当たりばったりです。加えて人生も行き当たりばったりなのは、言うまでもないですね。(;・∀・) それでもやるときには自分なりにきちっと準備をしていたこともあるんです。一応、徹夜でプレゼンの練習してたこともあるんですよ。学生時代のことですけども、けども。
 だから、最初はガチっと準備をしようとしていたのです。パワーポイントなんてその最たる例だと思っていて、自分が伝えたいことをそのままそこに載せて固めておく。固めておくとだいたいしゃべることは決まってしまいます。その資料が軸になるから、伝えている側からすれば安心だけど、その分だけ相手の意志は反映しづらくなってしまう。パワーポイントというのは、そういう面もあるツールです。
 わたしの年間のパワポ生産量は、イベントとかに参加しなくなったのが大きく影響していますが、年々がくんがくんと減少してきました。それは、もう自分で言いたいことを決めておくのは辞めたいな、という意志のあらわれでもある気がしています。いやいや、もちろん、こういうブログとかでは相手の意見が聞こえて来ないのでガチガチに主張を展開していきますけどね。

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 経験なのか、慣れなのか、年齢なのか、好みなのか、わかりませんが、いつの間にかわたしは自分のメッセージをその場でガーンと伝えることに飽きてしまったようです。そもそもそんなことができていたかは甚だ疑問ですけども、そういう能力的な話は置いておきましょう。とにもかくにも、グループワークなんかでも準備はするけど、その場に立つときにはそれをなるべく捨ててしまう心持ちになってきました。
 いくらワークショップだの、プレゼンテーションだのといっても、その場の資源に目を向けなければ始まりません。わたし的には。場づくりは、誰かが主軸になることで出来上がるけれど、主軸が主役になり続けるのであれば、あまりおもしろくはなりません。ワタシ!ワタシ!を押し出していかないとスタートしないのに、ワタシ!を持ち続けてしまうとスグに空回りになってしまいます。そういう意味で、すごく矛盾したものです。でも、できればそこに来た人たちから引き出したいし、ファシリテーターとかの立場をわきまえた上でその場の人たちに混ざりたい。知見と知見がぐるぐるっと混ざり合うから発想はおもしろくなるのだし、新しい何かが生まれるわけで、そうでなければ場である必要はありません。
 メッセージを伝えるだけなら教科書読んで、わからないところは質問して、最後に理解力テストね、方式で十分です。目指すところはそれじゃない。予想を超えた何かが起こるから大変で、楽しい場になっていくのでしょう。その大変さをみんなで乗り越えていくから、達成感が得られたりするんじゃないだろうか、などと考えています。

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 なので。

 やっぱり、準備はするけど、かなぐり捨てるんです。思い通りにならないのが狙い通りなのです。準備ってのは、それをそのまま遂行するためにあるのではなくて、大変になったときにでも何とか乗り越えられるような体力をつけるためのものです。頭の中でシミュレーションをしながら、こういう場合どうやったらいいんだろうかという方法とか手札をを溜め込んでおく段階です。で、筋書きはいちおう頭に入れておくけど、自分が描くのは端緒だけ。導入でマインドセットだけつくって、あとは相手とのやり取りに乗っていけばよいのだと思っています。
 自分なんぞあやふやなものです。そんな曖昧なものにすがるよりは、関係を中心核だと思った方がいい。間にある空気感をどれだけ調整できるかが、鍵なのでしょう。

 これも昔の話ですが、イベント運営の心得みたいなのをつくってたこともあって、そこにも学生ノリで無茶苦茶なことを書いてました。だいたい3箇条形式で、最後の3つ目で台無しにするつくりになっていて、「上記2箇条を覆してでも、自分がおもしろいと思ったならそれを実行すべし」みたいなことが書いてあります。あんまり社会人的ではないけども、ある意味で書いた通りなんですよね。きちんと準備をしてきたなら、そうそう外れることはない。だったらリスクとってでも自分がこっちかなと思う方向に進めばいい。そのときに予定が足かせになっちゃもったいない。

 いかに華麗に腹積もりをぶん投げられるか、そこが勝負です。どうせなら思いっ切りがっつり準備して、そいつをバッサーっと手放してダイブした方が気持ちがいい。

 と、、、ここまで書いて、えらいドMな意見だなと気づきました。ま、そういう実感があるんだから、仕方がない、でしょう。しっかり準備しないわけにもいきませんしね。



m(_ _)m