meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

「わからない」から逃げないで。

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 安保法案関係で後輩が頑張っているようです。15日に採決される可能性が高いとか。なかなか大変な状況ですな。その子の過去の活動も少し知っているのもあって、流れてくる言葉の重みを感じます。長年、というのはパワフルです。賛成・反対はさておき、こういう姿はシンプルに応援したくなりますね。

 わたしはもとNPO職員ではありますが、いわゆる市民活動家的なノリではありません。デモにも行ったことがなく、ロビー活動とか、政策提言もしないゆるゆるっぷりです。お前ほんとに社会変える気あるんかい、と言われてしまっても反論はしません。どうにもそういう「アツさ」に心を動かされない性格なのです。ただ、こういう立場だからこそ言っておくべきことがあると思っています。

 相手の世界を見ようとする姿勢を、ずっと持っておいて欲しいなと思っています。

●◯。。。...

 時勢にのって、安保法案の話をするので、とりあえずわたしの立ち位置を明確にしておきますね。わたしは今回の安保法案には反対です。もちろん、これはわたしが見聞きした(だいたいは読んだ)情報の中で判断したことですので、その点はご了承ください。政治に詳しいわけでも、法律に詳しいわけでもありません。

 今回の動きには主に2つの論点があると思っています。1つは「集団的自衛権を認めるかどうか」。これは国際政治上のいろんな事情を考えて議論されるべきものでしょう。たしかに戦争につながるような点もあると思いますけども、海底資源とか領土とか、お近くの国々とのあれやこれやが入ってくるようでこんがらがります。なので、この点については「何とも言えぬなぁ」が現段階のわたしの意見です。

 もうひとつの論点は「違憲かどうか」。もしくは「違憲なのに法律できちゃっていいの?」でしょうか。学者によって意見はわかれているようではあります。しかし、報道を見る限りでは「違憲」とする人が多いようです。日本が法治国家であるかぎりは(そしてわたしたちが法治国家であることを選択しているかぎりは)、憲法に反する法案が通るのはおかしいでしょう。法律は国民を統制するためだけにあるのではありませぬ。権力の暴走を阻止する機能も持っている。大人が堂々とルール破るのは、ちょっと見苦しいですね。

 というわけで、主に2つ目の論点から、わたしの立場は反対です。解釈変えずに憲法変えにいったらええのんに。まぁ、それができないから、あれやこれやと別の手段になっているのでしょう。それもなんだかなぁ、ではありますね。

●◯。。。...

 ふわっとした意見表明で申し訳ありませぬ。見る人が見たら、あれは違う、いやいやここはこうだ!、と意見が出てくるのでしょう。専門でないことを論じるのは、てーへんです。単純にしんどい。ご勘弁願いたい。ごめんなさい。m(_ _)m

 そんでもって、今日書きたかったのはこういう主題についてではなかったのでした。ちょっと最近、議論の仕方が怖くて気になっていたのでした。

 「是か非か」という問い。これで思い出すのは大阪都構想住民投票です。あのときも友達が頑張っているのを遠巻きに見てました(心の中では応援してました)。僅差で大阪都ならず、となったあと、振り返り系の記事を見ていたら、ふと「ウソ」という言葉が飛び込んできました。曰く「意見が対立する相手はウソをついているのだ」という主張がなされていた、とか。そんなことが書かれていました。

 これを見たとき、ぬぬぬ、と考えこんでしまいました。ホントにウソをついていたんだとしたら、それはさすがにやめましょうで済む話です。どちらもウソじゃなかったとしたら、はてさて、これは難しい世の中になってきたなと唸ってしまいます。現実が2つあるのかもしれないからです。

●◯。。。...

 今回の安保法案についての議論も、賛成と反対、どちらも平行線を辿るような気がしてなりません。わたしが議論の当事者だったとしたら、どうやって結論を出そうか途方に暮れてしまうでしょう。とりあえず、多数決で。とか言っちゃいそうです。

 とはいえ、重要なところだからなるべくちゃんと話し合いたいわけです。双方歩み寄って、少しは納得したいわけです。そういうこと、できそう?うーむ、できなさそうな気がしちゃいます。ここに、なんだかなぁ、を感じてしまいます。

 意見が交わる必要なんてないし、政治なんてそんなもんなのかもしれません。話し合いを信じるわたしがロマンチストなのかもしれません。むしろ頑固かもしれませぬ。ただ、それぞれが置かれているリアルが全く食い違っているとすれば、それは危険だと思います。お互いにウソだと言い合ってしまわないようにして欲しいのです。

 変なことを言います。もう既に、わたしたちの現実はわかれているのではないでしょうか。田舎でのリアル、都市でのリアル、若者、高齢者、節約家、浪費家、アウトドア派、インドア派。さまざまな対立軸。さまざまな生き方、考え方。今までは多様な人たちが1つの世界(事実)を共有しているとされていました。しかし、もうそれぞれに全く別の世界にわかれてしまったのかもしれません。「真実はいつもひとつ!」なんて決め台詞が効かない世界なのでしょう。

 だから、相手のことは絶望的に「わからない」のです。

 相手の真実が、わたしのウソなのです。おお、怖い。なんとSFチックな話でしょう。極端なことを言っている自覚はあります。そんでも、このぐらいの姿勢でいていいのではないかとは思っています。

●◯。。。...

 対立する相手のことがわからない。わからないで居続ければ議論は平行線です。お互いをウソだと言い始めれば、けなし合いです。そんなことにならないために、結論はいつも書いていることと同じになります。「そんな世界もあるかもしれない」と意識をしておくことです。自分の価値観に隙をつくっておくことです。

 政治活動、市民活動、その他、何かを起こすときに揺るぎない信念を持っておくことはとっても大切だと思います。緻密な論理も必要でしょう。そんな人たちに対して、わたしは「少しは揺るげ!」と言っているようなもんです。すんません。

 でも、少しは揺らぐ方がおもしろくないでしょうか。ちょっとぐらい相手の世界を覗きませう。議論しても意見が変わらないのであれば、それは淋しい話です。相手は日本国民ですけども、圧倒的にわからない、理路も不明な世界に生きていると思っちゃいましょう。お互いが相手の土俵にあがりこむところから、話し合いは始まるのではないかな、などと、わたしは思っているのです。

 是か非か。きっと、是の世界も、非の世界もあるんです。

 

m(_ _)m