meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

今回の騒ぎに乗って、考えたことをいくつか。

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【 雲が見当たらない、快晴の松江でした 】

 安保関連法案が採決されたようですね。このあとどういう手続きがあるのか、あまり知りません。それでも、国で大きなことが決まったのだな、という感触は持ちました。第一報はお昼休み中、facebook経由で知りました。決まることはわかっていたのだけれども、ああ、決まったのかと、少し衝撃を受けた自分がいました。さすがに引かれるかなぁ、と思い、職場の人にはそんな話を振ることもなく、しばし、自分の感覚に浸り、そして日常が戻ってきました。

 いくつか、今回のことで気になった点があるので、書き留めておきます。なんにせよ、わたしの立場は「反対」ではありますので、そんな色味がついたことだと思って読んでいただければ幸いです。

●◯。。。...

賛成派の意見ってあんまり流れてない。

 わたしの周りに「反対」の人が多いからかもしれません。それにしても、賛成という意見は少ないし、おおっぴらに出ていない印象でした。普通の人が「いや、まぁ、国際情勢考えたら、この法案必要なんじゃない」とかつぶやいててもいいなぁ、と思ったのに。ひとつだけ見かけた集団的自衛権賛成の書き込みには「このFacebookの投稿みて友達やめたい方がいたら、やめていただいてもかまいません」って感じの注意書きが添えてありました。なんか少し哀しくなりました。

 賛成派の人は戦争支持!人非人!なんて流れにはならないように気をつけたいものです。本当に戦争につながるかどうかは、これからのわたしたち次第でしょう。

意見は意見、人は人。

 罪を憎んで人を憎まず的な態度が、議論には必要だと思っています。意見は意見、人は人です。会議で起きた論戦を、日常生活に引っ張ってはなりません。意見の奥底にはその人のもつ価値観や性格が潜んでいること、それはわかっています。けれども、意見が違うからといって、その人をけなしていいことにはなりません。意見が食い違っているけども、なんとか共同生活を成り立たせていこうとすること。その積み重ねが今の制度ではないでしょうか。

 喧嘩は喧嘩を招きます。熱狂の渦が、わたしたちの思考を停止させてしまいます。立ち止まって考える余裕ぐらいあるはずです。一刻の猶予もないような判断の雪崩の中に、庶民が置かれているわけではありません。

 感情の昂ぶりはわかります。だからといって、安部総理のことを「安倍」と、真顔で呼びつけするのはいかがなことかと思うのです。風刺とか、そういうのならわかりますが。わたしたちが選んだ、総理大臣です。

「強行」を演出したのは、民主党では。。。

 写真を見るに、てんやわんやだったみたいですね。我が家にはテレビがないので、写真で見ました。熱意は見えます。阻止したかったのでしょう。ですが、プラカードを持って騒ぐ場所ではないかなと。もし、今回、詰め寄る民主党に屈して、採決しなかったとしたらどうなるでしょう。その方法の効果が認められてしまいますね。それでは制度がある意味が薄れてしまいそうです。

 そのことは民主党もわかっているハズです。力でいけば、力で反発されます。重々承知の上でしょう。ならば、今回「強行」を演出したかったのは、民主党でしょう。変な話だなぁ、と感じてしまいます。

 なにか他の方法はないのだろうか、と、国会が荒れるたびに思います。きっと、その他の方法をつぶされた挙句の、訴えなのだろうと、考え直すことにはしていますが。

維新の対案ってどんなの?

 維新が頑張ってるようでしたけども、その対案の内容ってほとんど流れてこなかったように思います。対案まで議題を絞れば、もうちょっと今回の法案の内容が見えてくるのに。残念なことです。戦争賛成、戦争反対、ではないでしょう。たぶん。

 詳しいとこまで見てられないのが庶民の悲しい性ではありますけども、ちょいとわかりやすく具体的な説明が欲しかったところでした。はい、わたしが調べに行かないのが悪いな。(´・ω・`)

●◯。。。...

 それにしても。戦争の可能性に対してこれだけ強く反応するってのは、すごいことではないでしょうか。やり方は様々あれど、戦争を強く嫌う、止めようと思う、その心は誇っていい。わたしも戦争はやめて欲しいので。

 あとは、これからのわたしたち次第です。国際的なやんややんやの中で、どう立ちまわって生き残っていくか。庶民の頭で考えられるかどうかはわかりませぬが、それでもちゃんと自分の頭で考えて、意見を出していけばいいと思うのです。

 

 

m(_ _)m