meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

場の感覚

久しぶりに、土砂降りの中をバイクで駆け抜けた。

ジーパンもびしょぬれ。
改めて自分のバカさ加減を認識。 ほんと、何やってんだかw

あ、ちなみに、出社時の話
ゆえに、ぬれたまま、業務に入るわけだ(爆)


なんだか、夕張で泣きそうになったのを思い出した。

 京都 → 北海道 を自転車で旅行してたときだ。

あの時も、雨が降っていて、ひたすら寒くて、ひどく疲れていて、孤独で。
歩道脇に倒れこむように止まって、泣きそうになっていたら、
近くで農作業してるおっちゃんに「大丈夫か?」と心配されたり。

自由だったなぁ、と思う。
いや、今も他の人と比較すれば相当自由なんだろうがw

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名古屋に来て変わったなぁ、と思うことの1つに、
「場の感覚」が少なくなったな、というのがある。

「場」と言っていいのかどうかはわからんのだが、
旅とか、そういうときにもよく感じてた。

場の感覚っていうのは、
なんか普通とは違う感覚で、その場所を経験するっていう、

夕暮れが多くて、湿度がちょっと高くて、
そういうときは、全てを認められるような。
そんで、果てしなく自由なような。

京都にいたころ、
京大の構内や、その辺の路地や、寮の庭や、その辺で
感じていたような気がする。

その場所に、全く知らない人がいたり、生活があったり、
そこでの歴史が感じられたり、

そうすると、
「ああ、この瞬間にここにいて、歴史の中にいるんだな」
と思えるようになる。

哀愁?

とっても好きな感覚なので、
最近感じられないのが、少々寂しいなぁ。