meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

頑張りは報われないが真実か。搾取されないリテラシーって何だろう?

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 昨日の夜ぐらいに、いつも通りぼーっとFacebookを眺めていたら、「搾取されないリテラシー」という言葉がぽこんっと入ってきました。おお、なんだか大切そうなキーワードです。
 わたし自身は、既に搾り取られてカッスカスな気もします。しかし、スッカスカだからといって、さらに搾られないとも限りません。いや、実は、怠け過ぎてでっぶでぶになっているから、周りの搾り屋から狙われているかもしれぬ。こりゃ危ないですな。
 というわけで、今後のためにも「搾取されないリテラシー」を考えておこうと思いました。いったい全体、どんなものなのか。少し潜って考えてみます。ブクブクブク。

 

ボランティアは搾取か?

 ちょっと具体的に考えてみたくて、こんな問いを立ててみました。無償が前提のボランティア。これは搾取でしょうか。

 もとを正せば、ボランティアは自発性から生まれる行為なので、搾取にはなりようがありません。自分で勝手にやり始めるし、やりたくなくなったらボランティアではなくなる。原理的にはそういうことだと思っています。
 ま、現実はそんなにうまくいくハズがありません。やりたくないことだってやらされる。しかも無償でやらされて、いつまで経っても報われない。ダークな面も持ちあわせているのが、ボランティアの現実でしょう。ブラックボランティア、なんて言葉もそろそろ出てくるかもしれません。うーん、冗談ではなくなるかもしれんな。怖い。(;´∀`)
 当たり前のことですが、ボランティアと十把一絡げにしていい、悪いを言うことはできません。ボランティアを活き活きと楽しんでいる人もいますし、疲弊したり傷ついたりして去っていく人もいます。つまりは搾取にならないときもあるし、なるときもある。ただ、無償である分、搾取的になりやすい面を持っているのではないかな、などとは思います。その違いが生まれるポイントはどこだろうか。そこに何かのヒントがある気配はあります。

 

搾取になる、ならない。ポイントはどこにある?

 ボランティアの経験とかも含めて振り返るに、わたしは2つのポイントがあると思っています。ひとつは雇用者、使役する側のマインドです。もうひとつは、被雇用者の「冷静と情熱のあいだ」です。
 まずは、雇用者のマインド。これが意外に重要だったりします。ボランティアの場合は受け入れ団体側というかもしれませんが、まぁ、人に働いてもらう側です。雇用者が働いている人に対して、ある種の「引け目」をもっているかどうか。これが搾取となるかならないかに大きく関わっている気がします。
 「引け目」とは何かというと、こんだけのことをしてもらってありがたい、と思う気持ちです。報いが足りないのではないか、という懸念です。これがないと、働いてもらって当然になってしまいます。優秀な人材が安く働いてくれる。報酬も少なくていいって言ってるし、お得だなぁ。なんて思うようになると、その姿勢がじわりじわりと伝わります。いくらやっていることが楽しくとも、気づかぬうちに搾取関係になっていくでしょう。働いてもらった、その頑張りには報いねば、そんな気持ちを持っていたいもんです。
 他方、被雇用者側は、冷めた頭と何かの想いを持たなくてはなりませぬ。これはバランスが必要です。冷めた頭ばかりで見ると、釣り合いのないことはしない、報われ求めになってしまっておもしろくありません。ボランティア含め、「働き」は、自分が予想もしていない何かが返ってくるから楽しいのです。冷めると自分の世界から身動きがとれなくなってしまいます。
 かといって、情熱に身を焦がしてもいけません。たまには何で報われないのにこんなことやってんだろう、と立ち止まって笑うこともしておきましょう。盲目は搾り屋の格好の餌食です。情熱の火は身体と精神を蝕むこともあるのです。ダメ、ゼッタイ。

 

搾取されないリテラシーとは?

 以上を踏まえて、最初の疑問に戻ります。搾取されないリテラシーとはなんぞや?です。ひとつは、雇用者を見抜く目でしょうか。提供される労働のありがたさを身に染みて知っている人なのかどうか。謙虚かどうか。

 基本的に雇用する人というのは、助けを求めている人です。自分がやりたいことをするには人出が足りてない。だから手伝って欲しい、とお願いする人です。えらっそーに指示を出す人ではありません。周りに人がいる。そのありがたみを知ってるかどうかを見抜きましょう。どうやって見抜くかは、、、うーん、具体的な見抜き方は想像できませぬが。(;´∀`)
 もうひとつは、冷静と情熱、特に「冷め」をいかに持つかだと思います。搾取される人って主に熱が高い人だと思うので。
 冷めるのに一番いい方法は、他人に話すことでしょうか。外の空気を入れて、自分のことを振り返ってみるといいんじゃないかと思います。たまにでいいので、自分の出している価値を、他人の鏡を借りて冷静に見つめてみましょう。
 そういえば、日本人って自分の出した価値と報酬の話を避ける傾向にある気がしますね。日本人だけじゃないのかな。大切な話題だと思うんですが、愚痴的なことしか聞こえてこない。そこは少し残念な気もします。

 

 さてさて。「搾取されないリテラシー」を起点にいろいろと頭を動かしてみました。なんか、搾取を超えて、雇用する/雇用されるのいいバランスを探していたような気もします。そして、気づいたことがひとつ。多分、「社員に搾取される社長」もいるだろうということです。いますよね。おそらく、どこかに。
 これはやはり、どちらもがフリーライダーになってはならない、ということだと思います。どーだこんだけ働いたぞえっ、とか、こりゃあ十分報いてるわいっ、とか、一方がそんな態度になると、他方が疲れてしまうのでしょう。こんな働きでいいのかしら、こんな報いでよいのかしら、という適度な引け目が、お互いのオーバーアチーブを生み出して、雇用する/雇用されるの間を埋めるのではないか。そんな妄想もすすみました。

 さて、わたくし。うーん、パートだし、さすがに給料分は働けてるかな。。。いや、ミスも多いしなぁ。。。うーぬ、うーぬ。(;´∀`)

 


m(_ _)m

 

 

下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

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