meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

イレギュラーなトラブルって楽しいんだけど、しっかり段取り組みたいという矛盾。

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 人間とはわがままなもので。いろいろとやっていて思うのは、いい雰囲気で活動をしているときは、意外とトラブルが多いということです。イレギュラー、アウトバウンド、予想外。ええええ、そんなこと起こっちゃうの!?ってのがあると、一気にその場に活気づきます。おいおいおい、なんじゃそりゃー、あっはっはー!と笑い飛ばして、よしやるぞと全員の気が集中するのです。
 そして、こういうラテン系な危機対応は非常に楽しいのも事実です。ウルトラQな対応が取られて、数々の伝説が生まれていきます。後の語りぐさになる、こういった逸話は「まぁ、あのときは厳しかったね」と振り返るネタとなって、そのたびに笑いが起こります。
 渦中にあっては必死さを促し、事後的にはその場を和ませる笑いとなる。ある種の条件を満たした集団にとっては、イレギュラーな事態はとっても楽しく有益なものになるのではないでしょうか。

●◯。。。...

 一方で、人間は安定を求めます。いつまでも不安定な体制ではいられず、しっかりと段取りをとってモノゴトをすすめていこうとする。それがあるべき姿ですし、それを否定しようとは思いません。
 組織や体制、活動が「しっかりする」。この段階を迎えないと、いつまでたってもトラブルに振り回されます。イレギュラーが出ないように、レギュラーをつくり込んでいく。大切な営みです。
 ですが、しっかりとすればするほど、当然のごとくイレギュラーは起こらなくなってきます。奇跡的なトラブル回避は、順当でありきたりな対応策に入れ替わってしまいます。それでいいんですけど、実はそれ、楽しくありません。普通です。トラブル続きで揉まれたあとに、活動がしっかりし始めると、ああ、これがあるべき姿だよなぁ、などと感慨にふけりながら、どこかでぬるま湯に浸かっているような感覚を覚えてしまいます。まさしく、隣の芝生は青い、なのです。(いや、喉元過ぎれば熱さ忘れる、なのかも)

●◯。。。...

 モノゴトを順当にすすめようとすればするほど、順当になっていき、そのことでイレギュラーの楽しみがなくなっていくし、奇跡は起きなくなっていく。困難と達成もなくなるので、なんだか刺激のない毎日だな、なんて思ってしまうかもしれません。これがいいことなのか、悪いことなのか。
 人の向き、不向きももちろんあります。経験から言えば、イレギュラーを楽しめる人は新規事業タイプですし、そうでない人は事業がためタイプです。地味なのはどちらか、一目瞭然ですけれども、あらゆる活動には地道な作業が必要なのは言うまでもありません。
 まぁ、事業をつくるにしても地道な作業が山ほどあるわけですが、新規の場合は「イレギュラーを開拓する」作業であり、事業がためをするときには「開拓したものを普通にする」作業です。そんなことも含めて、やっぱり周りを見渡してみるに、「イレギュラー楽しい風潮」はあるような気がします。旅の醍醐味はトラブルですし、カブキ者にはキュンとするのが世の常なのです。それがどうしてなのかはわかりませぬが。(;・∀・)

●◯。。。...

 肝心なのは、「それでも地固めをするのだ」という意識とか、決意とか、覚悟ではないかと思います。安定して、困難なく、ぬるま湯な世界。目指していたはずのノートラブル状態がツマラナク思えてくるのは当然のことです。そんなワイルドでないのはイヤだとダダをこねずに、まずは受け入れましょう。それでいいのです。地固めの哀愁にでも浸りませう。
 こういうのを停滞だと感じて、次へ次へと進み始める人もいますし、新しいチャレンジをすべきだと促す人もいます。まぁ、それもいいとは思いますが、場合によっては地も固まらないままに、次に手をつけることになってしまって、どっちも崩壊なんてこともありえるので、そこは注意して欲しいなぁと思います。わたしの場合、なんとなくのんびり自然体派なので、次の引き受けるべき困難は来るべきときに来るだろうと、とってもテキトーに構える感じです。
 それまでは、地味に、メランコリックに「しっかりとさせる」時期です。飛んだり跳ねたりなトラブルを如何に起こさないか。ぐいっと踏み込んで、詳細を煮詰める時期です。そんでもって、そういう経験は、意外と得難いものだったりもするもんだと、思っています。

 

m(_ _)m

 

経営学習論: 人材育成を科学する

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