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meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

でも、だが、しっかし。よく使ってしまう文章のクセとその対策について。

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 よくもまぁ、こんなペースで駄文ばっかり書いておるなと、自分でも思います。月曜日のkimuraです。今週も始まりましたね。
 土曜、日曜とちょこちょこと動いておりましたところ、ある方からこのブログに関しての話題がポコンと出てまいりました。話が出たときは、おお、こういうこともあるのかと、若干怯み、帰って読み返してみるにえらく恥ずかしい文章を書いておったと後悔しました。もちろん、後悔は先に立たず。いやん。

 当たり前のことながら、そういったあれやこれやも引き受けて文章を書いておりまする。でもね。そうはいっても、恥ずかしいものは恥ずかしいのです。特に、最近気にしているのは「文章問題」。言い回しが同じ同じ問題です。内容のことは、まぁ、どうしようもないからしゃーないのですけども、それにしたって、言い回しがおんなじではねーか、ってなことです。
 こういうときは、とりあえず意識化でもしておきましょう。敢えて自分の欠点を挙げ連ねて、こんなんだけど許してね、と言い訳でもしておきましょう。わたしが意識している、わたしの文章のクセとその背景にある気持ちについて、まとめてみたら対策が立てられるやもしれませぬ。

 

これぞ定番、逆接「でも、しかし、ですが、けども、だが、だけれども」

 もうね、頻出ワードです。わたしの文章は逆接なしでは成り立たぬ。ほんとにそれぐらい多くの逆接を含んでいます。いつもこの接続詞のバリエーションに悩む。絶対出てくるパターンです。
 これ、たぶん中学時代から同じようなことをしていたハズです。作文、小論文を書くときにも、論の展開は逆接に頼っていました。「確かに、〜〜という意見はある。しかし、〜〜である」が、わたしの王道なのです。今も、昔も。成長してないんですなぁ。
 なぜこんなにも逆接が好きなのか。ひとことで言うと「視野の広さをアピールするため」でしょう。あなたの意見もおさえてますよ、そっちも考慮した上で、実はこうなんですよ。と、そんなことが言いたいのだと思います。前置きが長いんです。正確性を保とうとして、いきなり自分の主張をもってこない。まずは根回しをしようとする。研究者タイプで、ビジネスでは嫌われるパターンですな。臆病でもあるのでしょう。逆接のない文章、書いてみるとどうなるだろうか。きっと、らしくない文章になるんだろうなぁ。

 

理由の強調で核をつくる「だからこそ」

 いやぁー、これもよく使う。「だからこそ」ってなんだよっ!ってツッコミたくなるぐらいに使う。えらっそうなことを言ってすんません。読んでいる人にとって意外と思われる理由を提示するときのレギュラーメンバーです。不況の今だからこそ、積極的な投資が必要だ、ってなやつですね。
 力が入る場面、演歌で言えばこぶしが入るような局面で使ってるんですけども、(あ、逆接が入った)、使用頻度が高過ぎてパワーを失いがちです。もうちょっとバリエーションが欲しい。
 「だからこそ」はこのブログの中核でもあるので、減らしにくいという事情もあります。如何に読み手の思考を揺さぶるか、を大切にはしているつもりで、そうなると「普通はこう考えるけど、実はこうだ」と流れるのが自然なのです。だからこそ、「だからこそ」を使っているのだ。うーん。(;・∀・)
 ちなみに、「だからこそ」は頭で考えている段階から活躍しています。一般的な因果から離れるのに便利なんです。例えば、仕事は速い方がいい、という意見に対して、関数「だからこそ」を使うとどうなるでしょう。仕事は速い方がいい、だからこそ、仕事は遅く進めるのだ、的な方向に向かいますね。意外な根拠を持ってこようとする性質を使って考える。まぁ、そんなこともしてたりします。

 

まるっとまるめて名詞を導く「という」

 古本を集めて販売する「という」イベントです。「という」言い回しです。何度「という」と書いたか知れません。その事象、現象をうまく説明できないから、とりあえず概要を書いて「という」でまとめてしまう。便利過ぎる、便利過ぎる言い回し。だから抜けられないのです。
 この「という」病には2つの要因が考えられます。ひとつは、語彙の少なさです。これは本を読んで、いろんな表現に触れるしかなさそう。語彙の蓄積って、読書とかをしながら自然とできてくるもんです。たぶん。
 もうひとつの要因は、新しい概念の説明が多いことでしょうか。社会的金融とか、ソーシャルなんたらかんたらとか、よくわからんことについてつらつらと書いているので、必然的に「という」病になっているのだと思います。
 とか言っても、やっぱり一番は語彙の少なさだろうなぁ。もっと読もう。

 

当たり前の世界に戻る「やはり、やっぱり」

 意外性で攻めたところで、日常にふっと戻す。この役割を担っているのが「やはり」とか「やっぱり」です。不況だからこそ、投資が必要、だけども、「やっぱり」財布のヒモは固くなるよね、として共感を誘います。わりとあざといことやってますね、ワタクシ。( ̄ー ̄)
 逆接で展開した論を、最後に縮めておきたいのは、わたしの怠け心が成す技でもあります。ストイックなこと言っちゃっても、実践できないもの、人間だもの。いわゆる尻つぼみで、歯切れ悪くしてしまう。それがあるから、わたしも、読んでる方も?、気が楽になるのではなかろうか。いや、きっとそうに違いないっ。
 てなことで、「やはり」以外にも「とは言っても」「そんなことを言いつつ」などなどでお茶を濁しています。数学で言えば、マイナスをかけてから、さらにマイナスをかける感じですね。逆接でつないんだんだから、そのまま言い切れよ!、と自分に言いたい。言い切り、苦手なんだよなぁ。

 

 


 てなことで。まだまだ挙げればキリなく出てきそうなので、とりあえずこの4つで終えておきます。改めて見直してみると、結構わたしらしいというか、性格が出ているもんですね。これが今の自分です。受け入れるしかない。
 しかし、こうやって意識化して受け入れるからこそ、自分の文章への挑戦が可能になるわけです。クセをなんとなーく頭のスミに入れながら書くという行為を繰り返していけば、徐々に変化を起こしていけるハズ。そう信じています。
 と、力んだところで、やっぱりわたしの文章はわたしの文章なんですけどね。文章ってなかなか真似できるものじゃないんです。書いてみればわかります。あの人のように書きたい、と思って書くことはできるけど、どうしてもあの人と同じように書くことはできません。自分の文章には、自分がきちんと残ります。単なるテキストデータのくせに、あなどれないのですな。
 はふぅ。今日も長々と書いてしまいました。文章については、またそのうち書くような気がします。

 


m(_ _)m

 

 

魂の文章術―書くことから始めよう

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