meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

明確で具体的な共通目標を掲げて、多様な人たちが活動する危うさ。

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 昨日のお昼休みぐらいに、安全保障関連法案の成立を止めるイベント的何かのビラがまかれておりました。これぞ大学ですな。いろんな意見はあるところでしょうけども、大学はこうでなくっちゃおもしろくありません。怪しげなビラがまかれて、染まる奴あり、冷める奴あり、そんなこんなが渦巻く場が大学なのだと思っているので、変なビラを見ると安心します。
 って、どーゆーこっちゃね。(;・∀・)
 そんでもって、同時に。こういう地道な活動をされている方には敬意を抱きます。どんな意見であれ、こういった形をつくり、声を上げるのは大変な労力のいることです。勇気もいります。そのハードルを乗り越えて、こうやってビラをまいている人がいる。並大抵ではない行動力や想いの強さがあるのでしょう。単純にすごいことだなと思うのです。
 でも、わたしはおそらく、このイベント的何かに行きません。なぜか。それは、異なる意見を持っている人たちを十把一絡げにして、明確で具体的な目標である「廃案」を成し遂げようとしているからです。いわゆる大同団結。1点突破のパワーはあるものの、繊細さには欠ける手法です。

●◯。。。...

 「緊急事態だから四の五の言わずにまとまるのだ」という論理はよくわかります。なので、イベントは辞めるべきだとか、そんなことは言いません。単なる好みの問題です。わたしは、人が寄り集まるのならば、同調ではなくて、その意見の背景が聞きたいのだと、そう思うのです。

 今回の動きの特徴として、共通の目標がとても明確で具体的だという点が挙げられます。みんな「廃案」にしたいのです。とってもわかりやすくい。その分、広がりが期待できる目標でしょう。ぐーっと、みんなを引き寄せる力があります。
 そして、引き寄せた上で、「反対だよね」「反対だよね」と確認し合う。もちろん、目標は廃案なので、みんながみんなに共感し合うハズです。するとどうなるか。何となくおわかりの通り、それぞれの意見は一層強固になります。「わたしと同じ意見の人がこんなにいるんだ」が強さの根拠になり、「反対!」が「反対!!!」になるのでしょう。
 それが目的のイベントなので、それでいいのです。そういうやり方をとっている、というだけのことです。何度も言いますが、大同団結が必要な局面でもあるのでしょう。

 ですが、わたしはこの方法が好きではありません。それぞれの背景を無視して、ただただ「反対パワー」を高めるというのは、一時的な勢いづけでしかないと考えるからです。この手法では、流れに押し流される人は増えても、賢明に考えようとする人は増えません。
 正直に言えば、「なぜ安全保障関連法案に反対するのか」というダイアログでもした方がいいだろうに、と思っています。悠長なことをしてる場合じゃないけども、そこから始めないと「体力」はつけられないのではないか。自分で考える知的体力なくして、訴えてもいいのだという行動力ばかりがついていけば、行き着く先はクレーマーです。誰もそんなことを望んで活動しているわけではないでしょう。
 こういった危険性を踏まえてもなお、大同団結して行動すべき局面なのだろうなとは思います。確かに、反対の人にとっては、いまさら悠長に話し合っている場合でもありません。だから、なんとも言えない気持ちになってしまいます。難しいところです。

●◯。。。...

 わたしが見ている範囲のことでしかありませんけども、どうも、スローガンやキャッチコピー、今回のような明確な目標とかが、「思考のきっかけ」にはならずに「思考停止」を導いている気がしてなりません。
 人間、放っといたら頭はかたくなります。そこを刺激して、マッサージするのがメディアの役割です。はっ、させて、ぐっ、と考え込ませる。そんな言葉がもう少し出てきてもいいのになぁ、などと感じてしまいます。

 願わくば、そのイベント的な何かの中に、それぞれの想いの背景を問うコンテンツがあって欲しいなと。そう思った次第でした。

 

m(_ _)m

 

 

モモ (岩波少年文庫(127))

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