meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

リーマン・ショックから7年が経っていた。「お金」への疑問は、まだ持ったままだ。

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 9月15日はリーマンショックの日だったってことをスマートニュースの地球くんが伝えてくれていた。少しばかり金融の話をしていたときに、相方が教えてくれたのだった。リーマンショックから7年が経つらしい。あの頃の、会社帰りのテレビ塔が妙に懐かしく思い起こされる。終電を過ぎた秋の夜は、たしかに、こんな感じで涼しかったような気がする。

 ぼくが経済に違和感を持ったのは、ちょうどリーマンショックが起こった時期だった。経済状況が悪かったからなのか、あの頃所属していた会社の体制が乱れていたからなのか、よくはわからないが、あの頃のぼくには大きな何かに絡め取られていくような感覚があった。
 身近なところではあれやこれやの困難が起き、地下鉄に乗れば「明日から仕事ないんだ-」という声が聞こえてくる。名古屋は異常な雰囲気に飲み込まれていたようにも思う。秋が終わって寒くなってくる頃には、ぼくの中に生まれた違和感は経済とかお金とかに向かっていた。昭和区のアパートに帰る道すがら、漠然と、みんながみんなを苦しめるようなことをしてるんじゃないだろうかとか考えて歩く。なんだか淋しくもあったし、哀しくもあった。ただ、敵はどうやら大き過ぎて、独りでは手に負えないもののようだった。

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 その勢いもあって、春には会社を辞めていた。初めて行ったハローワークには長蛇の列ができていて、求人検索機の使い方もわからないだろうおっちゃんが、一緒に来た奥さんっぽいおばちゃんの指示を受けて、たどたどしく求人を探していた。こりゃあ、ぼくなんかが雇用保険なんてもらってる場合じゃないだろう、などと強がって手続きをしないまま帰った。
 ニートになって得た時間の一部は、金融の勉強に使ってみた。NPOバンクのボランティアを始めたのもこの時期だ。「信用創造」という言葉を初めて知り、お金のあやふやさを思い知ることになる。(信用創造については、以下のサイトがわかりやすい。聞いたことがないという人は一度見てみるといいと思う)

http://www.findai.com/yogow/w00321.htm

 銀行に預けたお金は、当然貸し出される。貸出先と自分の預金はつながっている。そのことさえ意識せずに生きてきたことが怖くもあった。消費さえ選択であり、投票であり、影響はつながっていくのだというイメージも、そのときにやっと描けるようになった。ついでに、日本がしてる借金の額も半端じゃなかった。

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 あれから7年である。金融大量破壊兵器と呼ばれたCDSはどうなっただろうか。CDFI的なものは日本にもできただろうか。国の借金は1000兆円を超えたらしいけども、それでもまだ信用は続くのだろうか。最近の動きは把握していないから、なんとも言えない。この機会に復習しておくのもいいかもしれないなと思う。
 「何かの原因で道路が壊れたとして、困っている住民がいて、道路をなおす技術を持った人もいる。なのに、市も住民も、お金がないと言って道路をなおすことができない。これをどう考えたらよいだろうか」。こんなようなことを、ある人が書いていた。
 わたしたちは思っている以上に「当然」とか「神話」の上で生きている。そんなことを、改めて感じさせられる。

 

 

m(_ _)m

 

 

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