meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

訃報に触れて。

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 わたしはいつからこんな性格になっていたのだろう?
 そんなことを激しく思う。人の死に、泣けるようなやつではなかったのだ。偉大な人が亡くなってしまったのだ、と本気で感じている自分が不思議で仕方ない。
 最初の報せはFacebookだった。急病で倒れたとのことに驚き、どうしようかと迷って、いい言葉が書ける気もしなかったが、とりあえず何かコメントしようと思った。書いてから、こりゃ、自分のために書いたようなもんだなと思う。どうにも苦手なのだ。こういうときの感情を扱う方法が、わたしにはない。
 その後は、ひとまず平静さを取り戻したようでいて、というか、忙しさに逃げ込んでいたようなものだった。何度も続報がないか、確認だけはする。そんな日が1週間ほど続き、今日、帰宅したとき、メールを見た。今朝早く、他界したとの報せだった。

 「らしい」と言えば失礼になるかもしれないが、第一報を聞いたときから「らしいな」と思っていたことは否めない。強く、駆け抜けるような勢いと、江戸っ子のような見切りのよさというか、はいっ、おしまい!というリズムのある人だったからだ。とは言っても、「らしい」から受け入れられるかといえば、そうでもなかった。なぜか知らんが、自然と涙が出そうになり、いやいや、そんなんは欺瞞だろうと、思い直して耐えた。「お前にとっては、そんなに大きな存在じゃなかっただろう」と言われているような気もした。
  そうなのだ。そこまで大きく影響を受けていたような感触はないのだ。ただ、その思想、考え方、振る舞い、志、向かう先、方法、そういったものが徐々に徐々に浸透し、いつの間にかわたしの血肉となっていたということなのだ。どこから、どうやって忍び込んでいたのかさえもわからず、大きな要素として捉えられないからこその全体性をもって、なんだかわたしに影響していたような、そんなわけのわからぬ関係だったのだろう。
 つまりは、文化とか、ミームとか、そういったものをつくり出す人で、一種のワールドモデルを提示した人だったのかもしれない。それはやはり、受け継がねばならぬ。柄にもなく、残されたひとりとして、「継承」を意識せざるを得なくなってしまったようだ。繰り返すが、そんなのを背負う性質じゃない。そして、こういう使命感を、勝手に植え付けてしまう人を、「師」と呼ぶのかもしれぬと思う。巧妙である。

 ともあれ、これで完全に「同行二人」だ。いないから、どこにでもいる。ならば、わたしはわたしなりに、それを背負っていくしかあるまい。わたしの現場で、わたしの筋を通して、命を使っていこう。こういう感覚は、どうせ揺らぎ、薄れるのだから、今ぐらいは、肩に力を入れてもいいやと、そう思うのだ。

 2015年10月15日。故人のご冥福を祈りながら。

 (いや、これも自分の気が済むように書いたようなものだな)

 

m(_ _)m