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meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

3月11日ですね。

 今年もこの日が巡ってまいりました。3月11日。東日本大震災が起こった日です。まずはあの日のことを少し思い出しましょう。グラーっとゆっくりと揺れたあのとき。わたしは本陣小学校の事務所にいて、Twitterを見て事態の大きさを把握。その後、ずーっとスマホとニコ動で状況を追い続けたのでした。
 今、自分のツイートの記録を見ると、ポツポツと得た情報をリツイートしていたみたいですね。テレビがない人向けにユーストリームでNHKを配信している人の情報を広めたり、ニコニコ動画でのNHKの配信があること、AEDマップのURLや外国人向けに英語で対応がまとめられているサイトのURL。ある種の熱狂に飲み込まれながら、どれがいい情報なのかを吟味しつつ、おそるおそるリツイートしていたのだろうなと思います。いろんなデマも流れましたからね。(そういえば、あれほど流行ったチェーンメールなのに、なぜかわたしのところには一通も流れてきませんでした。ぼっちですなぁ)


●◯。。。...

 あれからもう4年も経つのだなぁ、としみじみ思います。今年は生活環境も変わり、いつの間にか原発もある街に住んでいます。松江に来てからよく聞くようになったラジオからは、ひたすら3月11日を思い出させるような特集が聞こえてきます。復興道半ば、復興予算はこれからどうなるのか、そんな話題が尽きません。そりゃあ、元通りにはならないだろうという想いと、かといってそのままにしとくわけにもいかんのだろうなぁ、という想いがないまぜになって、自分の中に湧き起こります。うつ病寛解はあっても完治はないのと同じことで、完全に治るわけじゃない。起きたものはそれとして引き受けて、次へとつないでいくしかないのだろうな、などと考えてしまいました。

 現地では未だにさまざまな苦労が続いているのだと思います。それはそれで大切な事実なのでしょう。しかし、「震災を思い出して、防災訓練をしよう」とか「被災地にはまだまだお金が足りないから寄付しよう」とか、そういうことばかりではないのが東日本大震災だったということを、今一度思い出す必要があるのではないだろうか。ぼくはそう考えています。
 3・11は、わたしたちのライフスタイルに大きな疑問を投げかけたのではなかったのか、ということです。あのとき、東京では帰宅困難者が大変な数にのぼりました。なんと脆弱な基盤の上に、わたしたちの生活は成り立っていたことか。そして、わたしたちはその上で何も知らずにあぐらをかいているようでした。生き方、働き方を考えなおす機会になった方も多かったはずです。アベノミクスで、その気持ちは吹き飛んでしまったのでしょうか。


●◯。。。...

 あの頃、なんのために働いているんだろう?と悩む姿をちらほらと見かけました。被災地では多くの人が苦しんでいる。なのに、名古屋では、いつもと変わらず日常が続いている。そのギャップに悩み、何かしたいけどもどうすることもできない。とりあえず寄付か、いや、寄付金はどこにいくかわからないし、などという鬱屈した想いに触れることがありました。でも、ぼくはその後ろめたさのような感情はおかしいと思い、だからこそ、NPOに勤めていたくせに「何もしない」と公言したのでした。雪崩のような「正しさ」に負けずに、それぞれの足元を生きよう、日常を大切にしよう、というようなことを書いた気がします。ま、それでも相当ぐらついていて、しばらく仕事は手につかなかったんですけどね。

 今、振り返ってみても、あの「何かしなきゃ」はすごく気持ちの悪い流れでした。行動が起こるのはいいことだし、支援をしなければならない状況でもあったのですけども、今になっても違和感が拭えません。
 ただ、考えてみると、あの「何かしなきゃ」には罪悪感のようなものが含まれていたのかもしれぬと思えてきました。お天道様に胸を張っていられるのであれば、誇りをもってその日常を続ければいいし、そういう人は震災が起こったときにも自分のすべきことをしかと掴んで行動するでしょう。でも、どうにも鬱屈した雰囲気もあった。それは、わたしたちのライフスタイル自体がどこかおかしいことに、わたしたち自身が薄々気づいていたからではないだろうか。そんな風に考えてみると、自分自身の後ろめたさに対する免罪符のように、「何かしなきゃ」が生まれてきたという見方もできる気がします。


●◯。。。...

 大地震によって、脆くも崩れ去った生活を目の前にして、このままでいいのかな、と感じた人は多いはずです。「何もしてこなかった」「何もできない」という悩みもあったでしょう。その気持ちの裏返しが「何かしなきゃ」となって現れた。でも、その「何かしなきゃ」で起こる行動は一時的な鎮痛剤みたいなもんです。被災地のために「何かした」では、実は気休めにしかならない。丁寧に日々を送り、震災が起ころうとも誇りをもってその事実を受け入れられるような生活ができているだろうか。そんな問いかけが、3月11日にはあってもいいんじゃないかな、と感じるのです。

 そして、その問いはそのまま自分に突き刺さりますね。(;・∀・)
 島根に来てからも相変わらずのマイペースで過ごしています。その七転八倒っぷりには自分自身で呆れますけども、ほんの少しずつ歩んではいると言いはりたいところ。これでいいのだ!的楽観と、まぁそーゆーこともあるさね的諦観をもって、ゆっくり転がっていこうと思います。

<参考>

【1年目の記事】
 >> 3月11日だから例にもれず右にならえで1年前を振り返ってみる。

【2年目の記事】
 >> 3月11日だから、右にならえで何か書いてみる

【3年目の記事】
 >> 3月11日だから、3年目に思うことを書いてみる


m(_ _)m

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